セレクション

第1章

 

 素朴な木造の家・・・そこは結界の中にある家の1つで、外界の天人と龍族の争いと 無縁の中で平和に暮らすことを望む者達が暮らす場所の仲の1つでもある場所。

 その家の中で女性が忙しく働いていた。茶色い艶やかな長い髪を揺らめかせながら、外はもうすぐ夕暮れとなろうとしていたため帰って来る子供のために夕食の準備をしているのだ。
 ここへやって来て、もう11年。天人である彼女が龍族である夫と結ばれて得た大切な唯一の子供のために、こうやって毎日食事を作ったり洗濯をしたりと働く。
「ユリカ、いる?」
何の前兆もなく突然開けられた扉から入って来たのは炎のような赤い短い髪をした女性。
「奈津さん」
ユリカと呼ばれた彼女は何のためらいもなく彼女をそう呼んだ。
「お帰りなさい。どうぞ、中に入って」
赤い髪の女性・・・奈津を中に招き入れたユリカはテーブルに付くように勧め、自分は温かいお茶を入れ、そのまま彼女の目の前に置いた。
 彼女は夫の妹だった。その証拠に夫と同じように龍族の持つ特有のとがり耳を持っていた。
 奈津はユリカの入れたお茶を一口飲むとようやく口を開いた。
「兄さんはまだしばらく帰って来れないわ。私も次に行かなきゃならないからゆっくり出来ないんだけどね。」
「そう」
ユリカは対して表情に出すでもなく、そう返した。
 外は相変わらず天人と龍族との争いが続いていて、日々激化を辿っていた。そのためそれを少しでも食い止めようとこの結界の中で暮らす者達が立ち上がったのだ。
 ユリカの夫もまた争いを止めるために、少しでも犠牲を減らすために同志と共に外の世界で戦いに出るようになっていた。
 心配はある。でもそれがあの人の使命であり望みでもある。そう言い聞かせてユリカは再び夕食の支度に戻り始めた。
 そんなユリカの心情を察したのか、奈津が明るい声を上げた。
「あ、そうだ。疾風は?」
「稽古に行ってるわ。
ユリカはくるりと振り向いてにっこり微笑んだ。
「風馬さんや奈津さんのように強くなりたいんですって」
 ユリカと夫である風馬の間に生まれた子供、疾風は10歳になっていた。いまでは父の意思を継ごうと一生懸命に剣や術の稽古に明け暮れていた。そして気が付けばその実力はあっと言う間に同世代の子供達を抜き、大人と互角に稽古をできるようになっていた。それは血の成せる技なのか、それとも特別な子供だからなのか……
「そう、疾風が」
ユリカの言葉を聞いて奈津はどこか嬉しそうに微笑んだ。
「疾風も、もうすっかり立派になったものね」
そういう奈津にユリカはまだ10歳になったばかりよ?と言いながら笑い再び夕食の準備に手を付け始めた。
 それからひと呼吸置くと椅子を引く音がした。振り向くと奈津が立ち上がっていてユリカに向かって片目を伏せた。
「ちょっと疾風の稽古見て来ようかしら?」
「ええ、きっと喜ぶと思うわ」

 

 そこは結界の中にある大きな栗の木の下。ただっ広い、開けた丘であるそこは結果以内にある住宅地を一望出来る景色が広がっていた。
 その場所は日頃から子供達が師匠の元で武術の稽古をしている場所だった。
 深緑の葉が生い茂る木の下で木刀がぶつかり合う音が響く。そこでは2人の少年が互いに木刀を手に組み手を行っていた。
「行くぞ!疾風!」
「こい!武琉!」
木刀を持ち互いに構えると2人は同時に動きだした。
 疾風と呼ばれた少年がくせっけのある茶色い髪をなびかせ駆け出した。武琉と呼んだ少年に向かっていくが、彼もまた木刀を上段に構えまっすぐ向かって来る。
「だぁ!」
先に攻撃を仕掛けて来たのは武琉の方だった。上段に構えた木刀を走り込んで来た勢いを利用して気合もろとも頭上から振り降ろす。
「っ!」
彼の攻撃を全身のバネを利用してかわすと腰の下に構えた木刀を下から上へ振り抜いた。
「うわぁ!」
武琉は後方へ吹き飛ばされた。その隙を利用して疾風は一気に間合いを詰め身体を起こそうとする武琉に木刀の切っ先を向けた。
「―――。」
「そこまで!」
彼らの師匠である女性が声を上げる。彼女の名はカズイ・・・天人である彼女はこの結界の中の子供達に武術などを教えている唯一の師匠であり、またこの結界の中の里を護る数少ない者でもあった。
「疾風にはかなわないや」
「そんな事はないよ」
負けた武琉は悔しそうにつぶやくのを疾風が笑ってなだめた。そして疾風は手を差し伸べ彼を助け起こした。
 その時、わずかに何か気の流れを感じた。武琉の手を離すと同時に木刀を握り動いている風に向かって構えた。木刀がぶつかり合う高い音が響いた。
「な、奈津さん?」
視界に木刀を何の予告もなしに振るって来た存在をとらえた疾風は驚きの声を上げた。それは確かに自分の父親の妹である奈津だったのだ。
「いい反応よ。手合わせしましょう」
「はい!」
彼女は父と同じく外の世界で争いを止めるために戦っている。自分にとっては父親と同じく憧れの存在でもあった。
 そんな彼女に手合わせをしてもらえる機会はそうそうない。嬉しくて疾風は木刀を手に彼女と向かい合いざっと構える。
 そして構えると一拍置いて奈津を見据える。その瞳は先程一瞬見せた歳相応の幼いものではなく、鋭いいっぱしの戦士のする瞳だった。
 先に仕掛けたのは疾風だった。木刀を肩と同じく水平に構えると横一線に振りぬいた。だが、彼女はそれを読んでいていとも簡単にかわしてしまう。
「このぉ!」
疾風はあきらめずに何度も彼女に立ち向かって行くがそれも全て彼女には余裕でかわされて行く。
 そして、何度目かの攻撃を奈津に向かって繰り出した。そのとき彼女の動きが今までのものとは一変する。
 疾風が振り降ろした木刀を身体を素早く反転させてかわすと降ろされた木刀を蹴り上げ、同時に彼女の持つ木刀でそれを薙ぎ払われてしまう。疾風の持っていた木刀は完全に手から離れ、遠く離れた場所に落ちた。
「勝負アリね」
奈津が不敵な笑みを浮かべてニコリと笑い。木刀の先を疾風に向けた。
「また負けた〜」
ガクリと肩を落とし両手を上げた疾風はため息混じりにそう言ってうなだれた。
 彼女と、何度か手合わせをしているが今まで勝ったためしはもちろんなかった。だが、自分も成長しているのだから少しは太刀打ち出来るようになっただろうと思っていたのだがそんな僅かな望みも打ち砕かれた。
「そう簡単に負けられないわ。でも、強くなったわね・・・疾風」
肩に木刀を担いでそう言う奈津に疾風は照れ笑いを浮かべて頭を掻いた。
 そんな疾風にカズイが近づきポンと肩を叩いて嬉しそうに笑った。
「でしょ?本当に疾風は飲み込みが早いわ。私の教える事も近々無くなりそうよ」
「そんなことないよ」
どこか自慢げに話す師匠のカズイに疾風は慌てて首を横に振った。
「カズイさんにはまだまだ教えてもらわなきゃ」
にこっと笑って疾風はカズイを見上げた。そして、
「僕、向こうで武琉と稽古して来る・・・・行こう!武琉」
「うん」
疾風は武琉を連れ立って走り出した。これ以上あの場にいて、いつも異常に誉められるのは恥ずかしくて耐えられそうになかった。

 カズイと2人残った奈津は走り去って行く疾風達の背中を見送った。
「本当に強くなったわ・・・疾風」
奈津はそんな彼の背中を見送りながらつぶやいた。
 手合わせしたのは久しぶりだった。そして手合わせする度にその彼の実力が自分達に確実に近付いているのを実感出来る。
 あと、2年か3年かすればもしかすると自分をも越えてしまうかもしれない。彼に秘められているその力は未だ底が見えず計り知れない。
 これも龍族と天人の混血児が成せる技なのか、それとも彼が特別なのか―――。
「さっきも言ったけど」
カズイが不意に口を開いた。
「近い将来、疾風は私より強くなるわ。そうなればあなたたちと結界の外に行くと言い出すはず。でも疾風はまだ10歳になったばかりの子供。そして結界の外の世界を知らないわ」
彼女の言葉に奈津もうなずいた。
 それは奈津自身も理解していた。もういつ疾風が一緒に行くと言い出してもおかしくはない。またそれだけの実力を付けるのも遠い事ではない。
「確かに疾風は……いえ、ここにいる子供達は結界の中で生まれ育った。外の世界がどんな風になっているか知らない。ここが平和な分、外の世界を知れば、か。」
憧れだけで戦えるほど現実は優しいものではない。それは何より外の世界で戦い続けて来た自分達が一番良く分かっている。
「疾風は今、一番力を付けて来ているわ。いつ外の世界へ行きたいと言ってもおかしくはない」
カズイの険しい表情に奈津も同意した。
「疾風と今晩、話してみるわ」

 

 陽も暮れ、奈津は疾風よりも一足先にユリカの元に戻った。そしてユリカに先程カズイと話していた事を告げた。
「て、カズイと話してたんだけど。疾風に話しても構わない?」
「ええ、知るべき事だから」
少し複雑な表情ではあったがユリカはしっかりとうなずいた。
 そのとき、家の扉が開く。疾風が帰って来たのだ。
「ただいま」
「お帰りなさい」
いつもと変わり映えしない様子でユリカは疾風を出迎えた。
「疾風、後で奈津さんが話があるって」
「え、何?」
ユリカの言葉に振り向いて来た疾風に奈津は肩をすくめて答えた。
「夕食の後でね」
その言葉に疾風は納得して見せたが不思議そうに首を傾げる。しかし、やがていつものように母親であるユリカにくっついて夕食の準備を手伝い始めた。
 その光景はごく普通の家庭の光景と何ら変りはなくて、こうしていればまた彼もごく普通の少年でもあって、戦いとは無縁であるような錯覚に陥る。
 彼はこのままここで暮らしていた方が幸せなのかもしれない。そんな事を思いながら奈津はぬるくなったお茶を口に運んだ。

 

 夕食後、疾風は奈津に呼ばれて家の外に出た。外は心地好い風と満天の星空に包まれていた。
「奈津さん、話って何?」
「疾風は何のために稽古しているの?」
突然の奈津の問いかけに一瞬、疾風はあっけにとられたがすぐに真剣な眼差しを向けて答えた。
「父さんや奈津さんみたいに強くなりたいから」
「じゃ、どうして強くないたいの?」
二度の奈津の問いかけに今度は黙り込んだ。どうしてなんて今更言われても・・・と心の中で思いながら言葉を探す。
 だが、10歳の子供に今自分が抱えている気持ちをうまく表現出来るほど言葉を持っていない。
 そんな疾風に奈津は顔を覗き込んで来るともう一度問い掛けて来た。
「疾風は私達が外の世界で何をしているかちゃんと知ってる?」
正確に全てを知っているわけではないが、それでも時々こうして帰って来る奈津や母親であるユリカ、そして滅多に帰って来ない父親が帰って来た時に話を聞いてある程度は知っているつもりだった。
「同じ平和を願う人達を助けたり、仲間を増やしたりしてるんでしょ」
「ええそうよ」
奈津は大きくうなずくと今度は背を伸ばし星空を仰ぎ見た。
「外の世界はこの場所からは想像も出来ない世界よ。『争い』ということがどういうものか疾風は知らない」
そう、独り言のようにつぶやいた奈津は再び疾風に視線を合わせて来た。それはどこか悲しみを帯びた瞳だった。
「自分達を守るために、誰かを守るために私達は敵対する者達を殺す事だってあるの。わかる?生命を奪っているの。奇麗事ばかりではないのよ」
彼女の言葉に疾風は胸が詰まる思いがした。父や奈津は『良い事』をしているのだと信じていたから。誰かを助けるということをしているのだと思っていたから。それがだれ科の生命を奪う事もあると言う事は思いもしなかった。
「どうして平和を願っているのに生命を奪うの?」
「それが『争い』『戦い』なのよ。平和を願うだけじゃ平和にはならない。守る力がなければ大切な仲間を大切な誰かを守れない・・・これが現実よ」
奈津は静かに一度目を伏せるといつになく、今まで見せた事もないような真剣な眼差しで見つめてきた。
「疾風、良く考えて。憧れだけで『一緒に行きたい』と言っても連れては行けないわ。もし、本当に私達と行きたいのなら力だけでなく心も成長しなさい」
「奈津さん」
初めて見る彼女の表情に気後れしながらも疾風はうなずいた。

 疾風はその夜、部屋に戻ってベッドに座り奈津に言われた事を考えていた。
 強い心の意味、結界の外に出て自分自身の意思を貫けるのか……それほど本当に強くなれるのか?それがたとえ誰かの生命を奪う事になったとしても。
(どうしたらいいんだろう……僕は)
「疾風、起きてる?」
ドアの向こうからユリカの声がした。
「母さん」
ユリカはドアを開け部屋に入って来ると疾風の横に座った。
「ゆっくり考えればいいのよ。問いかけにすぐに答を出さないで。これは疾風にとって大切な決断になるのだから」
「でも」
今まで信じて来た事が本当に正しい事なのかすら揺らぎ始めていた自分にとって母の言葉は意外なものだった。
「急いで間違った答を出して疾風が傷つくのが母さんは心配なのよ。良く考えて、結界の外に出ることにしても、ここに残るとしても疾風が一番いいと思った答えを出しなさい」
そういってユリカは優しく諭すように疾風の肩を抱き締めた。
「答えを見つけた時に、自分の道を進めばいいのよ」
母の言葉に疾風は自然にうなずいていた。

 それから数日後、奈津は再び戦地へ赴いて行った。まだ、ハッキリとした答えを疾風は出せないままその彼女の背中を見送ったのだった。

 

 

 そして、年月は流れ・・・ ――3年後―――

 

 結界の境界。そこにたくましく成長した疾風と母ユリカそして奈津が居た。
「奈津さん、疾風をお願いします」
ユリカが疾風の背中を押した。
「ええ」
「気を付けてね、疾風」
「うん、母さんも。しばらく会えなくなるけど元気で」
心配や不安を拭い切れない母に疾風は大人っぽい表情を浮かべてうなずいた。
 あれから3年、疾風は今日……奈津と共に結界の外に向かう。共に戦い『平和』を手に入れるために。そのために共に行く決意をして。
「疾風兄ちゃん!」
自分を呼ぶたくさんの声がして視線を上げた。その先にはいつも面倒を見ていた子供達が駆け寄って来る姿があった。子供達は疾風のそばに駆け寄って来ると口々に口を開いた。
「本当に行っちゃうの?」
「いつか帰ってくるの?」
「僕も、もっと強くなって疾風兄ちゃんの力になる」
「わたしも一杯稽古して強くなる」
「ありがとう」
疾風は優しい笑みを向けて子供達の頭を撫でた。
「疾風」
子供達の向こうに師匠のカズイと一緒に修行した武琉がいた。
「気を付けてな、疾風。すぐに追い付いて駆けつけるから」
「うん、武琉……ありがとう」
「疾風。がんばってらっしゃい」
いつもと変わらない師の言葉に疾風はしっかりうなずいた。
「はい。カズイさん・・・いままでありがとうございました」
「どんなことがあっても負けないでね」
「はい」
うなずいて答えてから見送りに来てれた人達を順に見回し、もう一度笑顔を向けた。
「じゃ、いってきます!」
たくさんの人に見送られながら奈津と共に疾風は旅立った。

 初めて踏みしめる外の世界の大地と荒野の果てに広がる向こうをまっすぐ見つめ、自らの未来を・・・そして守りたい人達を守るために――――

 

 

どんなことが待っていても負けない

大切な人達を守りたい 仲間を助けたい

そして誰も傷つかない平和な世界に

皆が笑顔でいられるように―――。


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