ブレイブバスターズ

第二章 水の都に住む魔女の試練

***   4   ***

 レティルを覆っていた黒い霧がガイの剣を受けて打ち消された。
 それを見たウィルトが喚起の声を上げた。
「やったぜガイ!霧が消えた!」
「やっ……た」
大きく息を吐いて、ガイは片膝を付いた。精霊の剣の切っ先を床に突きたててそれに寄りかかる。
 全身に鈍い痛みが残っている。肩で息をして呼吸を整えながら、膝に力を入れて何とか立ち上がり剣を背中の鞘に収めた。
「レティル!」
うずくまるレティルのそばにガイはしゃがみ込むようにして両膝を地面に付き、震えている彼の肩を掴んだ。
「レティル、俺が判るか?しっかりしろ!」
肩を掴む手に力を入れて、レティルを自分に向かせる。
 ガイの声にレティルはのろのろと顔を上げ、怯えの残る瞳を向けた。
「……あっ」
「レティル!」
彼の紫の瞳が自分を捉えたと思った。
なのに、その紫の瞳は怯えた色を消さない。
「レティ……っ」
次の瞬間だった。
 レティルの魔法力が膨れ上がる。
「や……っ、来るなぁ!」
悲鳴のような叫び声がガイの耳の鼓膜を震わせたのと同時に凄まじい衝撃が走った。
 爆発音に似た音が響く。
 ガイは衝撃に吹き飛ばされ、身体を床に叩きつけられた。
「な、に?」
何が起こったのかすぐには理解できなかった。
 レティルの声がしたと思った次の瞬簡には吹き飛ばされていたのだ。
 叩きつけられた衝撃に息が詰まり、身体中が痛む。
「ガイ!」
ウィルトが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「ああ……」
痛みと衝撃で呼吸がうまく出来ず、ガイは何度か深呼吸をし、呼吸を整える。

 風が、吹き荒れていた。

 後ろで縛っていたガイの長い金色の髪がはらりと落ち、吹き荒れる風になびいている。どうやら縛っていた紐が切れたらしい。
「が……ガイ。レティルが!」
ウィルトの驚愕している声に顔を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
 呆然と座り込むレティルを中心に風が吹き荒れている。
「ま、まさか」
 これは、魔法力が暴走している。
 ガイはこの光景を見てすぐにそれを理解した。
 レティルの持つ、大きな魔法力が無尽蔵に放出され制御をなくし、風となってエネルギーを周囲に撒き散らしている。
「まずい、このままじゃ」
血の気が引いていくのを感じた。
 そもそも人間が扱う魔法は魔族の扱うものと違う。
  もともと人間が精霊に愛され、その自らの精神力を持ってコントロールし、威力を発揮するものだ。魔族は自らが持つ魔力を具現化して使っているだけのもの。根本的な力そのものが違うのだ。
 だからこそ、人間が使う魔法は精神力の強い者が、より強い魔法を使う事が出来る。つまり、それだけ、使えば精神を疲労するし、精神力を必要とされるのだ。
 レティルの魔法は他の一般魔道士たちとは根本的にかけ離れたものだ。威力もレベルも桁外れという言葉がもっともしっくり来るだろう。そんな強大な魔法力を彼は抱え、それでも自由に操れるのは精神力があるからだ。
 なのに、その精神が不安定な状態のまま、無意識に魔法を発動させた為に、魔法がちゃんと発動せずに暴走した。
 レティルの意識はここにはない。呆然と宙を見つめたまま座り込み、動くことすらしない。
 彼の意思とは関係なく、魔法力だけが放出されているのだ。
 このままでは自分自身が放出する魔法力に身体を蝕まれ、命を落としてしまう。
「レティルやめろ!」
力いっぱい叫んで、ガイは痛む身体に力を入れて立ち上がる。
 軋むような痛みに顔を歪めながらも吹き荒れる風の中を一歩ずつ足を踏み出しレティルに近づいた。
 何をしようとしているのかウィルトは気がついたのだろう、ガイを止めようと叫んだ。
「やめろ、ガイ! 無茶だ!」
 吹き荒れている風はただの風ではない。レティルの放つ魔法力そのものだ。
 そして、それは彼の心を表すかのように全てを拒み、ガイの身体を傷つける。
 それでも彼を止める方法をガイは他に知らない。ガイは傷だらけになりながら魔法力の暴風の中、レティルの傍にたどり着く。
「レティ…ルっ」
血に染まった手を伸ばし、肩を掴んだ。ぐいっと力を込めて意識なく、宙を見つめているレティルの身体を自分の腕の中に抱き寄せてガイは彼の力のない身体を抱きしめた。
 吹き荒れる風がガイの頬を、腕を切り血が流れ、レティルの白いローブが紅く染まる。
 それでもガイは構う事なく、抱きしめる腕の力を緩めることはしなかった。
「レティル。大丈夫だから……、もう何も怖がらなくて良いから」
レティルの肩に顔を埋めるようにして、ガイは子供をあやすように落ち着いた優しい声で囁くように語り掛ける。
「何も、お前は悪くないよ。だから、かえって来い、レティル」
もう、独りじゃない。ここには仲間がいる。だから帰って来いと……自分たちの元へ。
 ガイは思いを込めて言った。闇に囚われたレティルの心に届くように祈るような気持ちで。
「……っ」
息を詰める気配がした。同時に周囲の風が収まっていく。
「ガ…イ」
少し掠れた声。それでも彼のものだと判るそれを聞いて、ガイはレティルの意識が戻ったことを知った。
 だが、それを自分で確かめることも出来ない。
「良かっ……た」
間近で放出され続ける強大な魔法力を浴び続けたガイは、あちらこちらに深い傷を負い、指一本動かす事が出来ないほど消耗していたのだ。
 安堵でなんとか繋ぎとめていた意識が薄れていく。
「ガイ、しっかりしてっ。……ガイ」
ずるりと落ちる身体を支える力。
―――ああ、もう大丈夫だ。レティルは大丈夫。
 遠のく意識の中、笑みを浮かべた。
 支えられる力は弱々しいけれど、何度も自分の名を呼ぶレティルの声はしっかりしている。
 良かった。
「ガイ、ごめん……俺の、せいでっ」
―――違う、お前が悪いんじゃない。
 ガイは最後の力を振り絞って笑みを浮かべ、首を横に振った。
 何も悪くないと、それを伝えるだけで精一杯。
 良かったんだ。自分で決めて、自分が覚悟してとった行動なのだから。自分が傷ついても構わなかった。それで誰かが救えるのなら、良い。
「ガイ!」
「ガイ……っ」
仲間たちの声を聞きながら、ガイは安堵の中に落ちていった。




 雨の音がする。




 木の板が、雨の雫に叩きつけられる音だ。
「……る、せぇ」
そのうるさいほどの音でガイは目を覚ました。
 見上げる天井は木製の天井で、周囲はすこし薄暗かったが、木の壁に木目調の家具が並んでいて、自分は窓の傍に置かれているベッドに寝かされているという状況が判った。
 確か、自分は水の神殿の中にいて、傷を負って倒れたはず。
「どこだ、ここは?」
見た事がない場所だ。街の宿でもない。
 身体を動かそうとして力を入れるが、途端に激痛が身体中を駆け巡り思わず呻いた。
「う……。痛っ……」
どうやら動けそうにない。
 それで、自分がどれほどの無茶をやったのか、ようやく理解した。
「ちょっと、確かに無謀だったかもな」
ははっと乾いた笑いを浮かべてガイは天井を見つめたまま呟いた。
 暴走する魔法力の中に飛び込むのは確かに少々無謀だったかもと、今更ながらに思う。
 一歩間違えればガイは命を落としていたかもしれないのだから。
 天井を見上げたままガイは大きく息を吐く。それだけでも身体に鈍い痛みが走るのだから仕方がない。とにかく今、どうなってここにいるのか判らないが自分は傷を治すしかなさそうだ。
 そういえば、レティルとウィルトはどうしたのだろう?
 無事だとは思うが。状況が状況だったので気になる。
 自分がこうして安全な場所で休まされているというのだから、おそらくは心配することもないだろう。
 あの場には水の精霊であり、村の魔女様であるウォアがいたのだから、うまく計らってくれたのだと思う。
 それでも不安がないわけではない。
 そう、思っていると不意に部屋のドアが開いた。静かに入ってきたのはウォアだ。
「どうやら気がついたみたいだな」
「ウォア……と、呼んでいいのだろうか?」
先ほどまでは魔女だと名乗っていたので、ガイも名で呼んではいたが、今では水の精霊であることを知っている。なので軽はずみに名を呼んでも構わないのか判らない。
 何せ相手は二神のすぐ下に配置される、言ってみれば神にもっとも近い存在なのだ。
「構わん。私は自分の立場を気にはしていない。こうやって人の中で暮らすのが好きでな。性に合っているらしい」
ウォアはそう笑みを浮かべて言う。
 彼女がそういうのならと、ガイはその辺りを気にすることを止める事にした。
「で、ここは?」
「私の家だ。村の端にある。一番大きな家を、村の者たちが宛がってくれてな。私はこんな大きな家は必要ないといったのだが、頑として譲らなかった」
そう話しながら、ウォアはガイの顔を覗き込んだ。
水色の前髪を無造作に掻き上げると、ウォアは苦笑した。
「レティルは下で休んでいる。お前に付いていると聞かなかったのだが、熱を出していてな。無理に休ませて、今ウィルトに見張らせている。そうでもしないとあいつは責任を感じて、何をするかわからんからな」
「そうか」
確かにレティルの性格からそういった類の無理をするだろうということは明白で、ウォアはそれを見越して手を打った。
 さすがというか、なんというか。
 良く、自分たちのことを見ているというか、観察しているというか。本質を見抜いているというところだろう。
 雨の音がうるさく響く部屋でで、ウォアはわずかに顔を曇らせて、真摯な眼差しを向けてきた。何かと視線を合わせると、彼女は雨音の中で聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言葉をもらした。
「すまなかったな」
静かに、しかし穏やかに言うその声は水面のようだったが、何か張り詰めたものも感じる。
 綺麗な湖の情景が、何か触れてはいけないように感じるそれと同じように。
「傷つけるつもりではなかった。無礼を詫びよう」
頭を下げるウォアにガイは驚いて、痛む身体で反射的に上半身を起こす。
 その様子にウォアは驚いて、それでもガイが起き上がれるように背中に手を添えて手助けをしてくれた。
「っ…、ちょ、っと……やめて、くれよ」
痛みで、言葉もうまく吐き出せないまま、ガイはそれでも声をなんとか出して彼女に言う。
「あんたを、責めるつもりなんかない」
痛みで顔を歪め、息を吸い込んで首を横に振る。
 そうしてうずくまるようにして、痛みが過ぎるのを待ってから、肩から落ちる金色の髪を掻き上げるようにして顔を上げた。
「判っていたんだ。忠告を二度も受けていたのに、それをちゃんと受け止めてなかった俺たちに非がある」
 ザムノ山の精霊は決意と意志があるならと言った。ウォアは心弱き者は闇に囚われると忠告した。
 二度の忠告を受けていたにも関わらず、それを自分たちはどれ程真剣に受け止め、考えたのだろうか。
 ウォアは顔を上げ、黒曜石の瞳をガイに向ける。先を促している様子の彼女にガイは先の言葉を続けた。
「遅かれ早かれ、いずれはこうなっていた。あいつの中にある、脆さに気づいていた時から、予感はしていた」
いつかは、レティルの抱える闇に向き合うときが来る。
 ガイはそんな予感がしていた。それは決して避けては通れないものだとも。
「気がついていたのか、レティルの中にある闇に」
「『闇』って表現が正しいとは思わないけどな。でも、あいつは何かを隠して……いや、違うな」
あれは隠しているのではない。ガイは彼の今まで見せた表情は様子を思い出し、右手を口元に当てた。
「忘れたいんだ。忘れたくて、忘れた『ふり』をしてるんだ。何もなかった、見なかった、起こらなかったと、言い聞かせて」
だが、それでは余計に苦しみと悲しみの連鎖に囚われてしまうだけだ。
 そんな記憶ほど、本当に忘れる事が出来ないのだから。
「レティルは過去を過去と捉えていない」
ウォアは静かな口調で言った。
「レティルにとって過去は『後悔』でしかない」
そうだとガイも彼女の言葉に頷いた。
 レティルはずっと後悔し続けている。自分にも、そういう部分がないわけでないが、彼のそれはずっと重く、生々しい気がする。
 ガイは自嘲的な笑みを浮かべた。
「ったく、あいつの強さは諸刃の剣だったんだな」
彼が強いのは自分の中にある脆さを隠し、誰にも悟られないため。そして、過去を後悔しているからこそ、弱くあることを許さず、強くあり続けなければならないと望み、そうしている姿。
 でもそれは強さを強さとして身に着けているのではなく、弱い自分を認めることなく、受け入れる事なく周りを持てる『力』という鎧で固めているに過ぎない。
 それでは、やがてその弱さに向き合わなければならない時、そこに付込まれて取り返しの出来ない事になりかねないのだ。
「しかし」
ガイはウォアを見上げ片目を細める。
「あんたは一体なんでこんな手の込んだことを?」
そのガイのストレートな質問にウォアは目を細めて息を吐く。
「ザムノ山の精霊から聞いただろう? 邪神と戦うには我々の力を借りる必要がある」
直接そう言われたわけではないが、そういうことだろうと思っていたので、ガイは頷いた。
「その資格がお前たちにあるのか、試した。我々の力は、その一端だとしても、神に通じる力だ。人間では力に振り回されて自分を見失いかねない。だから、その心が耐えうるか試した」
「そうか。それじゃ、俺たちはその資格を得られなかったというわけだ」
つまりは彼女に認められなければそれは手に入らない。
「そうでも、なかったがな」
「え?」
否定的ではない、彼女の言葉にガイは驚いて目を瞠る。
 すると彼女は優しい笑みを浮かべながらも真実を口にする。
「だが、合格でもない。だから、もう一度だけチャンスをやろうと思っている。どちらにしても我々の力を使えるのは勇者の血を持つ者だけだ。お前たちが我々に認められ、力を手に出来なければ、遅くないうちにこの世界は邪神に滅ぼされるだろう」
成程、なんにしても自分たちは試練に合格し、彼女に認められるしか道はないということか。
 ガイは今更ながらにその自分が持つ、自分の中に流れる血の重さを実感する。
 勇者として生きることを望んではいない。でも、確かにある自分の中に流れるそれは、世界を救うための鍵の一つでもある。
「とにかく、今は傷を癒すことだ。私の調合した薬を持ってこよう。それを飲めばすぐに傷も癒える」
「ああ、ありがとう」
彼女の気遣いに感謝を述べると、彼女はガイの身体を再びベッドに横たえる。そうして優しい笑みを浮かべるとそのまま黒いローブをひるがえし、静かに部屋を出て行った。
 一人になったガイは天井を見つめたまま、肺の中の空気を大きく吐き出した。
 チャンスはもう一度。だが、それには今、自分たちが乗り越えなければならないものがある。
「レティル……」
まだ、一人で抱え込んでいるのだろうか。
 試練に合格する方法はガイにはもう判っている。しかし、そのためではなく、レティルを助けてやりたいと思う。
 誰にも言えず、助けを求めず、何もかも抱えるあの少年のまま。
 あの、孤独に慣れてしまった少年のままの心を自分は救う事が出来るのだろうか?

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