ブレイブバスターズ

第二章 水の都に住む魔女の試練

***   3   ***

 どうして、手を掴んでやれなかったのだろう?

 「……って」
ガイは身体中の痛みで目を覚まし、身体を起こした。
 洞窟の奥から突然流れてきた激流に押し流されたのは、はっきり覚えている。
「酷い目にあったな、こりゃ」
身体を見ると全身ずぶ濡れで、深い海の色をした鎧も、緑もマントも水で重く感じた。しかし、とりあえず身体に鈍い痛みは感じるものの、大した怪我はしていない様子だった。
「あ……レティルとウィルトは?」
一緒にいた仲間たちを思い出して、ガイは慌てて周囲を見回した。
 周囲の景色は一変していた。
 先ほどまで歩いていた洞窟の中とはまったく違い、広く、床はレンガではなく鏡のように光る大理石の青い床だった。そして均等に並ぶ大きく太い柱は、複雑で美しい装飾が施されてある高貴な感じだ。
 洞窟の奥から流れてきたはずの水に押し流されたのに、入り口に戻るでもなく、まったく別の場所にいるようだ。
「ウィルト!」
その青い大理石の床に白銀の身体が横たわっているのを見つけてガイは慌てて立ち上がり駆け寄った。
 それは同じくずぶ濡れで倒れている銀狼のウィルトだ。
「おい、ウィルトしっかりしろ!」
ガイは両手でウィルトの白銀の身体を揺さぶる。
「ん……」
ガイの呼びかけにウィルトは意識を取り戻し、青い瞳でガイを捕らえ、大きく見開いた。
「ガイ。……あ、あれ?」
がばっと起き上がるとウィルトは首を左右に大きく振り、周囲を見渡す。どうやら彼も、ここがさっきまでいた洞窟とは違う場所だと気がついたようだ。
「ここ、洞窟じゃない? それにレティルはどこいったんだ」
「さぁ、ここには見当たらない。ま、あいつのことだからそんなに心配することもないかもしれないけどな」
水を吸い込んで重さを増した装備を感じながらガイは立ち上がり、緑のマントの裾を手に持ち、ぎゅっと両手で絞った。
 ぽたぽたと水滴が青い、鏡のような床に落ち水溜りを作った。
 とにかく、今はこの場所の確認とレティルの行方を捜さなければならない。あれだけの流れだから、きっとはぐれてしまったのだろうけど、方向は同じなのだから、そんなに離れていないだろう。
「さて、とりあえず探しに行こうぜ、ウィルト」
ガイの呼びかけにウィルトは大きく頷いて元気良く飛び起きた。
 そして彼は自分の身体についている水を払うべく、身体をぶるぶると震わせて水滴を飛ばす。
「おわぁ!」
ウィルトが弾き飛ばした水滴がガイが見事に直撃する。せっかく今、水を絞ったのにまた濡れてしまった。
 まだ、ウィルトが皮の服を身に着けているだけ、その水の量は少ないのかもしれないが。
「ウィルト」
思わず額を右手で押さえ、ガイはため息と同時に項垂れた。
 その様子で察したらしいウィルトはあっと小さく声を上げて白い耳をしゅんと下げた。
「ごめん」
「別にいいけどな、もう」
まぁ、動き回っているうちに乾くだろうし、ここは寒いわけでもない。今更水に濡れたままでいたからと言って風邪など引く程やわな身体ではない。
 顔を上げたガイは改めて周囲を伺った。
 ここはおそらく神殿の中だろう。この神烈な魔法力が漂う場所であるから、間違いはない。
 どうやってここに流れ着いたのか判らないが、レティルはおそらくこの神殿内にいるはずだ。
 これはガイの憶測でしかないが、あの水はおそらく水の精霊が引き起こしたものだろう。自分たちを導くために。
 どういう了見でこんな回りくどい方法をとったのかは判らない。そもそもガイたち水の精霊の元に向かうために神殿へ向かっていたのだから。
 しかし、あんな水を自分たちにけしかけて来たのには何か意味があるように思えた。
「あっ」
唐突にガイは思い出した。あの清聖の魔女ウォアが言っていた事。
 試練が待っていると言わなかったか?
 心弱き者は闇に囚われるとも。
「ガイ、どうしたんだよ?」
「魔女ウォアの言葉を覚えてるか?」
「ああ、試練が待っているだろうってやつ?」
ウィルトは大きく頷いてからガイを見上げて首を傾げてきた。
「そう。もう、その中に俺たちは足を踏み入れているんだ、たぶん」
今、この場にレティルだけがいない事も、おそらく水の精霊の策略の一つだ。
「目的は俺たちとレティルを引き離すこと」
あの水に意味があるのならば、ガイのその言葉は間違いではない。それは確信だった。
 相手は水の精霊。万物の中にある水を司る精霊だ。そんな事を考え、行動するのは容易いことだろう。
 引き裂かれてしまったレティルの身に、何かが起こっている。
「じゃ、早くレティルを探さなきゃ!」
くるぐると周囲をウィルトは見回している。
 そんな事はガイも判っている。魔女の言葉を思い出し、レティルがいないという時点でガイは思っていた。
 レティルには、おそらくガイにもまだ話していない何かがある。重く冷たい何かが、心の中に塊となって圧し掛かっているのをガイは気がついていた。
 レミューで再会して、彼の過去を聞かされたけれど、それでもまだなお、彼には何かまだ話していないものを抱えている。
 あの魔女は言った。心弱き者は闇に囚われると.
 ガイはそれを聞いた時、言い表すことの出来ない不安のようなものを感じた。
 それは予感だったのかもしれない。
 自分にも確かに辛い過去はある。ウィルトにもザムノ山での悲しい出来事がある。
 でも、レティルはそれらとは決定的に何かが違っているような気がしてならなかった。
 ずっと、感じていた違和感。それはなんなのだろうか?
 ガイもウィルトも過去は辛く悲しい。思い出すと胸が締め付けられるような痛みが走り、喉が詰まる。それは苦しいから。
 しかし、レティルは……。
「そうか、あれは『怖れ』だ」
時々、不意に見せる紫の瞳を思い出した。
 歪んだ表情に紫の瞳が揺れる。息をつめたようにして身体を硬くする姿は、怖れだ。
 苦しいでも辛いでも、悲しいでもなく、レティルは過去の記憶の何かに対して恐怖を感じている。
 両親がしてしまった事への、ではなく。別の何かに対して。
「ガイ!」
突然のウィルトの声にガイが我に返る。
 近くに白い身体が見えなくて、周囲を見回すと前方の離れたところでそれを見つけた。
 ウィルトは白い尾を一振りして言った。
「向こうから声がする。誰か判らないけど」
前足で方向を示すウィルトにガイは叫ぶと同時に駆け出した。
「レティルだ! 行くぞ、ウィルト!」
「あ、おう!」
ガイは緑のマントをひるがえし走り出すと、ウィルトの横をすり抜ける。それに気がついたウィルとは慌ててついてきてガイの横に並ぶ。
「ウィルト、案内しろ!」
「まかしとけって!」
横を走る銀狼の身体がガイの言葉を受け前に出る。白銀の四肢が青い鏡面の床を蹴り、駆けながらガイを振り返る。
「飛ばすぞ!」
「ああ!」
緑のマントをなびかせ、青い鎧を揺らせてガイはウィルトの後を追い走った。
 向かうのはウィルトが持ち前の人間離れした聴力で捉えた声が聞こえる場所。
 おそらくそこにレティルがいる。

 青い大理石の床を蹴り、駆けながらガイは昔のことを思い出していた、
 幼少の頃からガイはレティルを良く知っていた。ガイにとってレティルは同じ国を背負う王子として尊敬していたし、年も近かったから尚更だ。
 その器量と気性。意志の強さと物腰に憧れさえ抱いていた。
 だが、今思えば子供らしくない子供だったと思う。時々彼は形容し難い目をしている時があった。何かに耐えるような、我慢するような瞳。
 同じ年頃の子供なら、もっと我ままでもいいだろうに、彼はそんなことはなく、大人に混じり意見を言うこともあれば、その大人社会の理不尽さを受け入れているようだった。
 彼は両親から過大に期待されいたように見える。国民からの期待も絶大だった。だからだろうか、彼は自分の気持ちを押し殺し、あまり表に出したりしている姿を見た事がない。例えば、同じ年ぐらいの子供たちがするように。
 もしかしてと、ガイは考えた。レティルは何でも自分の中に抱え込んで押し込めてしまうのではないかと。
 辛いことも苦しいことも、どうにもならなくて助けて欲しい事も。
 きっと素直に誰かに伝える事が出来ないのだ。
 そんな性分だとガイは心の中で苦笑した。
 最も自分が人のことを言えた義理ではないことも充分承知してはいたが。
「ガイあれだ!」
前方を走っていたウィルトが声を上げた。目の前には大きな扉。次の部屋に続いているものだろう。
 ガイはその前に立つとためらう事なく、そして勢い良くそれをあけた。
 ばんという大きいな音と共に放たれる扉は、容易に開いて、目の前に光景を映し出す。
 その部屋は今までの部屋と同じように大理石の床と石造りの壁に覆われていた。置くには厳かな祭壇がある。神聖さの溢れる部屋だ。
「ああぁぁぁっ!」
「レティル!」
うめく、悲鳴に近い声を出して、レティルは両膝を大理石に床に付いてうずくまっている。
 今まで見た事がないレティルの様子にただならぬ事態を感じだガイはレティルの元に駆け出す。
 だが、強烈な魔法力を感じてガイとウィルトは思わず足を止めた。
「何だ?」
うずくまるレティルの苦しむ姿の周囲には黒い霧のようなものが漂っていた。それはレティルの身体を包み込むようでもある。
「ガイ、あれは何だ?」
「闇?」
――― 心弱き者は闇に囚われる ―――
魔女の言葉がガイの頭の中で鳴り響く。
 レティルの身に何が起こっているのかは判らない。
 だが、彼の心の中にある、何か触れられたくない場所に、何者かが冷たく鋭いナイフを突き立てたのだ。
「レティル!」
このままではレティルの心が闇に飲み込まれてしまう。
 ガイはレティルの傍に駆け寄り、彼の身体を掴もうとした。
 だが、周囲に漂う黒い霧が、今のレティルの心を示すように全てを拒む壁になる。
 伸ばしたガイの手が黒い霧に触れると電流のようなものが走り、激痛が襲った。
「痛っ……!」
「ガイ、大丈夫か?」
ウィルトが心配そうに顔を覗き込んでくるが、ガイは彼に大丈夫だと頷いて、痛みの襲った手を押さえた。
 グローブ越しにも伝わる凄まじい魔法力がガイの手を弾いたのである。
「俺のことより……こいつをなんとかしないと」
手の痛みなど、どうでも良かった。
 何とかして彼の意識を戻さなければレティルの身が持たない。
 不意に水の音が聞こえた。同時に魔法力の波動を感じたガイは顔を上げる。
 すると、祭壇にゆらりと揺れる水面のような人影が出現した。そうかと思うと、それははっきりとした人型を取り、ガイとウィルトの前に降り立ったのである。
「清聖の魔女ウォア」
黒いローブに流れる川のような水色の長い髪。そして黒曜石のような瞳の女性。あの清聖の魔女ウォアだ。
 どうして彼女がここに現れたのか、ガイは考えたと同時に答えにたどり着く。
「お前が水の精霊だったのか」
その言葉に魔女ウォアは目を瞠り、やがて口元を歪めた。
「いかにも」
肯定の言葉を聞いたガイはやはりと思った。
 彼女から感じる魔法力は強大なものだ。本人は抑えている様子だったが、零れ出る力の波動だけでもそれは人間の比ではないのは明白だった。
 それに悠久の時を生きるという彼女の年を取らないのは、精霊だからだと思えば容易に説明が付く。
「レティルに何をしたんだ?」
ガイは腰にある剣の柄に手をかけて、低く睨みつけウォアに今の状況を問いただした。
 明らかに、これは彼女が何かをしたのだと判断したからだ。
 たとえ、相手が八大精霊と言えど仲間に危害を加えられて黙っているわけには行かない。ガイは相手が誰であろうと容赦するつもりはなかった。
 ウィルトもガイの隣で低い唸り声を上げて白い牙を見せている。彼の同じ想いらしい。
 ガイの問いかけにウォアはただ静かに笑みを浮かべている。
「答えろ、何をした。事と次第によっては水の精霊だろうが容赦するつもりはない」
「そういきり立つな」
右手を挙げ、ガイたちを制するとウォアはその手をレティルへと向けた。
「忠告はしたはずだ。心弱き者は闇に囚われると。さて、どうする? 早く助けんと心が壊れてしまうぞ」
ウォアの忠告にガイははっとなってレティルに視線を向けた。
「あぁ……っ、やめ…てっ」
全てを拒むように両膝を付き、身体を震わせてうずくまるレティルはその紫の瞳から涙を零して苦しい声を上げ続けている。
 ガイはぐっと拳を握り締めた。
 あの時、どうして手を掴んでやれなかったのだろうか?
 水の流れに飲まれた時、あの手を掴んでいればレティルは苦しまなくて済んだのではないか。
 いや、違う。本当はもっと早くあの手を掴んでやるべきだったのだ。レティルの心の中にある『何か』に薄々気がつきながらも触れてはいけないような気がして、何も出来なかった自分。
 もっと早くに助けてやれたのに、何も出来なかった自分が腹立たしく、悔しい。
 幼い頃、無力な自分を嘆き、力を身につけてレティルの力になりたかった。
 望んだとおり、今の自分は彼の隣にいて、共に戦う力を得た。それでもまだ、自分の力は最後の所で足りないのだ。
「それでも」
ガイは顔を上げ背中にある精霊の剣に手をかける。
「俺は、お前を助けるためにここにいるんだ!」
無力だと嘆いても、力が足りないと唇を噛み締めても。
 自分はただ、持つ力の全てをかけて、ただ、自分を信じて精一杯のことをやるしかないのだ。
 弱虫で、国を背負う器ではないと周囲から言われ、そんな自分でも存在意義があると示してくれたあの少年は、自分は自分で良いのだと言ってくれた。
 変わる事は時には必要だけど、無理に変わる必要はない。自分は自分で自然に在れば良いと。
 迷いと闇の中から救ってくれたあの少年を、今度は自分が助けるのだ。
 その想いは闇をも打ち払う程、強くあれと。
「精霊の剣よ、その力を示せ!」
ガイの声と想いに答えるように背中にある精霊の剣は甲高い音と光と共に、鞘から抜け、空色の刀身を現した。
「精霊の剣か……久しいな」
水の精霊ウォアがガイの抜いた剣を見つめて目を細めた。
 精霊の剣は伝説の勇者アーティアが使っていた聖剣。精霊神の力を宿すといわれる剣であればあのレティルの身体を覆う闇を打ち払う事が出来るはずだ。
「ウィルトさがってろ!」
ガイは精霊の剣を構えてウィルトに下がるように告げた。ウィルトはそれを素直に受けて下がる。
 剣の柄を両手で握り締め、ガイは黒い霧に向かって気合もろとも一気に振り下ろした。
「はぁぁぁ!」
空色の刀身は光を放ち、黒い霧とぶつかると、その強大な力のぶつかり合いに火花を散らす。
「っ―――!」
剣の柄から伝わる凄まじい力の反発。刀身は霧に阻まれせめぎ合う。柄を握る両腕に、その凄まじい力の反発したエネルギーが流れ込み痛みが走った。
「ガイ!」
ウィルトの悲鳴に近い声がガイの意識をつなぎとめた。
「この……やろぉ」
反発する力は両腕を伝いガイの身体中に痛みとなって駆け巡る。
 膝を付きそうになるのを必死で耐え、ガイは歯を食いしばり持てる力の全てを剣に託す。
「消えやがれ!」
ガイの怒号が響く。
 それと同時に刀身が今までにない程光り輝いた。
 レティルの周囲を覆っていた黒い霧が派手な、何かが破裂するような大きな音と共に精霊の剣の刀身が放つ光に飲み込まれ、打ち消されたのだった。

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