| 第二章 水の都に住む魔女の試練
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朝からレティルたちは町を出発し、トゥル湖の湖岸を北西に回り、酒場で聞いた湖のほとりにある村へ向かった。
そこは小さな集落のような村で、トゥル湖岸にあるシェーフの森との間にひっそりとあるらしい。
地図にも掲載されていない、名もない小さな村だ。
「ここが魔女の住む村」
村に到着したのは陽が真上に昇る頃だった。
前もって詳しい場所と道を聞いていたので迷う事なく来る事が出来たが、そうでなければ迷ってたどり着くのがもっと遅れたか、たどり着かなかったかのどちらであろうと、レティルは内心思った。
村は老若男女の人々がいるが、端が見えるほどの小さな村だった。
おそらく総人口が百人いるかどうかだろう。
「適当に誰かに聞くか?」
ガイが村を眺めながらそう言うが、どうやらその必要はないらしい。
村に人々がレティルたちに気がつくと、どんどん集まってきた。
こんな小さな、静かそうな村だ。外から見知らぬ人が来るなど珍しいのだろう。何より、こんな格好の、しかもモンスターを連れている人間がやってきたのだから尚更だ。
気がつけば、あっという間に遠巻きではあるが村人たちに囲まれていた。
「あ、あの……俺たちは別に怪しい者じゃ、なくて」
なんて、言い訳めいた事を思わずレティルは口にするが、こんな事を言えば余計に怪しませるじゃないかと思う。
「レティル、ガイ、それに銀狼のウィルトだな」
村に人々の、人垣の向こうから女性の声がした。女性にしては低めの声だが、はっきりと通る声だった。
その声がした途端、人垣をすり抜けるように長身の女性がレティルたちの前に立った。
透き通るような白い肌に黒曜石のような瞳。そして水面のような艶やかな水色の髪が背中まで美しく伸びている。
そして身に着けている衣服はその肌をより白く見せる黒い、ローブ服。
容姿は一見すると薄幸の美人という感じだが、物腰は強そうで、見つめてくる黒曜石の瞳は強い光を宿している。
「あなたは……。どうして俺たちのことを?」
「私は魔女。予見は私の力の一つだ」
「魔女。あなたが?」
自分たちの前に姿を見せたこの女性が、話に聞いた魔女だという。
確かに、彼女からは何か、今まで感じた事のない強い魔法力を感じる。彼女はそれを抑えているのだろうが、強すぎるそれは、溢れるように零れている。
「村の者たちよ、この者たちは我が客人である。安心するがいい」
そう魔女だという女性が高らかに村の者たちに告げると、彼らは安堵の表情を浮かべてそれぞれもとの場所に戻って行った。
たったその言葉だけで村人が無言で安心してしまう。彼女はどうやらこの村にとってはとても重要で、力のある人物なのだろうと思わせるには充分だった。
「さて、お前たち。付いてくるがいい。会いたいのであろう? 水の精霊に」
魔女はそうだけ言うと、歩き始めてしまった。
水の精霊と、この魔女は何かしら関わりがあるのは確からしい。
レティルたちは顔を見合わせたが、すぐに頷き合い、魔女の後を付いて行く事にした。
魔女が向かったのは湖の傍にある洞窟の入り口だった。村のはずれにある、やっと人が通れる程の大きさの口が開いた洞窟。
奥まで見る事は出来ないが、場所を考えて湖底に続くものだろうという事は安易に想像できた。
「これは湖の底にある『水の神殿』に続いている洞窟だ」
入り口に立つなり、魔女はレティルたちを振り向き、洞窟を指差した。
「この洞窟から神殿に行けば良い」
「あの、えっと……」
レティルは魔女に向かって言おうとした事があったのだが、なんて呼びかければ良いのか判らず言葉を詰まらせた。
魔女だとしか聞いていない彼女の名を、自分たちは知らないからだ。
そんなレティルの戸惑いが判ったのか、魔女は身体の正面をレティルたちに向け、言った。
「そうか、名をまだ言っていなかったな。もっとも、名などこの村では不要なものでな。村の者たちは皆、私のことを『魔女様』と敬愛を込めて呼んでいるから。……私の名はウォア。清聖の魔女ウォアと呼ぶ者もいるが」
「魔女ウォア」
レティルは改めて問いかけた。
「この地に水の精霊がいるというのは真実なのですか?」
「そうザムノ山の精霊に聞いたのではないのか?」
問いかけに、逆に問い返されたレティルはその事柄に頷いた。
確かに、ザムノ山の精霊はヴァイナ王国の湖に住むという水の精霊に会いに行けと言った。
邪神と戦う決意と覚悟があるならばと。
「では、愚問だな。もっとも誰もが目にする存在ではないから、信じられないとしても仕方なのない事かもしれんが」
そう言うと、魔女ウォアは目を細めて湖を指差した。
「この湖の底にある神殿に行けば、水の精霊は真の姿を現すだろう」
「神殿」
「ただし、そこにたどり着き、水の精霊に会い、目的を果たすには試練があるだろう。心して行くが良い」
試練……と、レティルたちは顔を見合わせた。
そして、ウィルトが魔女ウォアに視線を向け、恐るおそる尋ねた。
「モンスターが待ってるとか?」
その問いかけに魔女ウォアは目を瞬かせてから、わずかに口元を歪めた。
「似たようなものかも知れんな。人によってはモンスターより性質が悪いと言うだろうが」
成程、つまりは中には何か仕掛けなりがあって、すんなりと通してはくれないという事らしい。
「上等じゃねぇか。んなもん、全部蹴散らしてやる」
ガイが片笑みを浮かべ、挑むような眼差しを魔女ウォアに向ける。
その眼差しを受けた魔女ウォアは笑みを見せた。
「それは心強い言葉だな。流石は勇者アーティアの子、勇猛なるサフィルトの子孫だ」
勇者アーティアの子の一人であるサフィルト。今では国の名として知られるそれは本来、勇者アーティアの子を示すものだ。
同様にレティルの故郷であるアルバートの名も、勇者アーティアの子の一人を示す名であったとされている。
「勇者アーティアの子、アルバートの子孫のお前は、やはりアルバートの性情を良く受け継いでいるな。何事にも動じず、大局を見極める力を持つ。それはまさしくアルバートの性情だ」
「会った事があるような言い方ですね。アルバートとサフィルト、両者に」
勇者アーティアの子供である両者。初代アルバート王国の王、アルバート・アーティアと、初代サフィルト王国の王、サフィルト・アルバート。
両国では確かには国の成り立ちに関わる英雄であり、初代王であるから、それなりに歴史の本なのでそれなりに人物像について語られたりしているのだが、詳しい性情についてまでは語られていない。
「あるさ。もちろん勇者アーティアにも面会したことがある。あの者は特別だった。全ての壁をすり抜ける気質と器量。誰もがその力を認めた。もちろん八精霊たちですらな。アルバートとサフィルトもそれなりではあったが、彼らでは足元にも及ばんよ」
とつとつと語る魔女ウォアにガイが肩をすくめる。
「一体、何年生きてんだよ」
「そうだな、この世界がアーティアと呼ばれる昔からと言っておこう」
世界がアーティアと名付けられたのは邪神アウティルーガと勇者アーティアの戦いの後だ。
その戦いが今から約五百年前のことであるから、この魔女はそれを軽く超えている事になる。
ただ、感嘆するガイをウィルトを横目で見てから、その紫の眼差しをレティルは魔女ウォアへ向けた。
「とにかく、俺たちはその洞窟を抜けて神殿へ行けばいいんですね」
「そうだな。……まぁ、心して行くが良い。心、弱気者は闇に囚われてしまう事もある。充分気をつけてな」
精霊の力は世界の理に干渉するだけの力を有する。
心が弱い者はその強すぎる力の前にどんな影響が出るのか判らない、という意味だろうか。
何はともあれ、気を引き締めて行く事にこしたことはないだろう。
「よし、行こう」
レティrは洞窟の入り口に視線を向けた。
「水の精霊に会いに」
その言葉にガイとウィルトも頷いた。
八大精霊の一つ、水の精霊。
それが、どんな精霊で、この洞窟の先で何が待っているのか判らないが、とにかく自分たちは水の精霊に会わなければならない。
邪神を倒すために。
決意を胸にレティルたちは湖底神殿に続く洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の中は自ら光る鉱石である、光石が一定の間隔で壁に埋め込まれていたので暗くはなく、充分肉眼で足元を確認できた。
足元はレンガが敷き詰められていて、自然に出来ている洞窟とは違い、歩きやすく、尚且つ一本道になっていた。
どうやらこの洞窟は自然に出来ている洞窟を人の手で舗装したらしい。
「なんかきれいな洞窟だな」
ガイが周囲を伺いながら独り言のように呟いた。
「もっとじめじめしたとこだと思ってたんだけどなぁ」
湖底に続く洞窟なのだから水が滴るようなものだと思っていたのはレティルも同じだった。
「そうだね。水溜りとかもないし、モンスターの気配もない」
こういうのはさすが水の精霊の住むとされる神殿へと続く道……と、言うべきだろうか。
それともあの魔女が何か手を加えているのか?
白い四肢をレンガの地に付けて歩くウィルトが大きな白い尾を一振りして周囲を見回す。
「ここはまったく空気が澱んでいない。すごく綺麗だ」
言われてみればとレティルもガイも息を吸い込んだ。
大抵の洞窟は空気が流れにくいので澱んでいる。故に足を踏み入れた時に何とも表現のしがたい重さを感じるものだ。だからこそ、モンスターなどが住み着きやすくなるのだろうが、ここはそういう感じではない。
外と同様なぐらいに空気が澄んでいて綺麗だった。
湖底に続く道なのに、空気が流れているわけでもないのに、これほどの清浄な空気があるというのは、やはり場所が場所だからだろう。
「不思議な場所もあるもんだね」
世界にはまだまだ自分たちが知らない場所がたくさんある。
その一つが、今自分たちが向かっている場所だろう。
「さぁ、先へ急ごう」
この奥へ。水の精霊がいる神殿へ。
レティルたちは頷き合うと足を速めて先へと進んだ。
少し歩いた所で、ウィルトが不意に足を止めた。大きな白い耳をひくつかせて何か様子を伺っている。
「どうした?」
「……なんか聞こえる」
「え?」
ウィルトの言葉にレティルとガイも足を止めて耳を済ませた。
「なんか、ごーって」
確かに耳を済ませてみると洞窟の奥から何か、低い音が聞こえてきている。
「おい、レティル……これって」
顔を引きつらせてガイがレティルを横目で見た。
彼が言おうとしていることはレティルにも判っている。
この聞こえてくる低い音はだんだん大きくなって重厚感を増してくる。
これは……。
「水の流れてくる音?」
これは間違いなく水の音だ。しかもかなりの水量で、かなりの勢いを持っている音。
まずい、これは。
「逃げろ!」
レティルが叫んだ。それと同時に洞窟の奥から水が激流となってこちらに向かって流れてくる。
それはこちらが気がついて逃げ出すよりも早かった。
あっという間にレティルたちの身体を水が飲み込み押し流す。
「うわぁ!」
「レティル!」
「ガイ! ウィルト!」
まずいと思ったときには遅かったのだ。
激しい水の力にレティルたちは抗う間もなく引き離された。
無意識に伸ばされたては空を切り、水に飲まれ、レティルの身体は強い力で引っ張られるように激流の中を揉まれた。八方からの凄まじい力に身体がバラバラになるのではないかと思われる痛みが襲い、呼吸もままならず、まるで闇に導かれるように意識を手放した。
それは闇が身体の中に染み込んでいくような感覚だった。
冷やりとした感覚で、レティルは目を覚ました。 感じたそれは水の冷たさとはまったく違うものだった。
「ここは……?」
目を覚ましたはずだったのに、レティルの視界には闇しかない。しかし周囲は闇なのに自分の身体の様子は目で確認できた。
水で流されたはずなのに、身体はまったく濡れていなかった。濡れていないのに感じる冷たさは、この闇そのものの冷たさ名のかも知れない。
「ガイ、ウィルト?」
周囲を注意深く伺う。目はまったく闇しか捉える事が出来ないが、気配は違う。
しかし、近くに誰かがいるような気配は感じない。
「ガイ! ウィルト!」
仲間の名を叫ぶが、それは闇の中に溶けるように消え、応える声はない。
あの水流に飲まれた時にはぐれてしまったようだ。
「ここはどこだろう?二人とも無事だといいけど」
自分がいる場所、ここがどこなのかまったく検討がつかないし、どこに行けばいいのかもこの闇の中では判らない。
これでは迂闊に動けない。
とにかく、ガイもウィルトも水流に飲まれてきっと違う場所にいるだろうから、彼らと合流しなければならない。
「しかし参ったな。これじゃどこに行けばいいのかも判らないじゃないか」
周囲が暗いので前も後ろも左右さえも判らない。進むのか戻るのかも判らずに、レティルはただ、何も考えずに無意識に、右手を闇の中に伸ばした。
すると、突然その右手が何者かに掴まれた。それもとても強い力で。
レティルは身体を大きく震わせて、反射的に手を引こうとしたが、その力はそれさえも許さず、手を引く事が出来ない。
「誰だ!」
思わず叫んだ。
何かがいるような気配は感じない。でもそこには何かがいた。
相手が見えない事が、レティルの中にある本能的な恐怖を呼び起こす。
背筋が凍りつくのを感じだ。気配は感じないのに、誰かがいる。
モンスターか、魔族か……それとも。
「誰だ、離せ!」
力を込めて叫び、手を払うと、今度は容易に離れた。
「何だ?」
掴まれていた右手にぬるりとした生温かい感覚が残り、レティルは右手を見つめた。
茶色いグローブに、赤黒い液体が付着していた。生温かいそれは、微かに鉄の匂いがしていた。
「……け…て…」
闇の向こうから声がした。
「なっ……」
「助けて……くれ」
声と共に闇の中に人の姿が浮かび上がる。
その人は銀色の鎧を身に着けた中年の男性だ。引き締まった大柄の男だったが、血まみれで、至るところが赤黒く染まっている。顔も青白く、恐怖に歪んでいて、レティルに向かって懇願するような眼差しを向けていた。
「そんな……っ」
レティルは知っていた。その男を。
男が身に着けている鎧に刻まれているのはレティルが最も慣れ親しんだ王紋だった。
「どうして助けてくれないんだ」
血だらけの男は蒼白の顔も紅く染め、目を充血させてレティルに懇願し続け、両手を人間離れした力で掴んだ。
「死にたくない、助けてくれ」
必死の形相で見つめ懇願する男を前に、レティルの身体はがくがくと震え、身体の芯から冷たくなる。
「あ…ああっ……」
知っている。
この男を自分は―――。
氷のように冷たい手で掴まれたレティルの腕は感覚を失っていくような気がした。
心が冷えていく。
「どうして助けてくれなかった!」
男はレティルを責める。
助けてくれなかったと、過去形で。
「や……め……」
「どうして見殺しにした!」
言葉が、心の奥に閉じ込めていた血に濡れた過去を呼び覚ますように突き刺さる。
呼吸さえできないまま、レティルはただ声にならない声をあげ、身体を竦ませた。
「あぁぁぁ……っ!」
その男は、あの日。邪神が甦った日に、アルバート王国を守ろうとモンスターと戦っていた兵士だった。
レティルはあの日、城から老師グリズの手に引かれて逃げ出す時遭遇していた。
紅い血にまみれ、死に絶える前の顔で、それでも必死の思いで、自分たちを見つけたあの男は叫んだのだ。
―――助けてくれ!―――
助けを求められて、助ける事が出来なかった。
いや、自分があの時見捨てた、見殺しにした兵士だった……。
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