ブレイブバスターズ

第二章 雪女の呪いと銀狼の涙

***   10   ***

 精霊は倒せた。皮肉にも精霊を慕っていた銀狼(シルバーウルフ)の力で。
 氷漬けになっている人々もやがて精霊の魔法力が解け、元に戻るだろう。
 だが、その結末は悲しいものだった。

 銀狼(シルバーウルフ)は頂から、地上を見下ろすように黄昏ている。
 風はどこまでも冷たく、白い雪がそれに巻き上げられるように舞う。
 レティルと、寄りかかるようにして支えてもらっているガイは銀狼に何も声を掛けられずにただ少し汚れた白銀の背中を見つめていた。
 吹き抜ける風に白い大きな耳とふさふさとした白い尾をそよがせて、ただじっと銀狼は何かを見つめるようにして佇んでいた。
 大切なものを自らの手で失わなければならなかった。そんな辛い重荷を背負わされた者に何を言ってやれば良いのか、レティルには判らない。
 白い大地に血の跡に汚れた白銀の身体。その向こうに見える悲しいまでも青い空と穏やかな地上の景色。
 それが、あの銀狼を慰めるものであるのか、あるいは反対の意味なのかは、知ることは出来ない。
「俺……」
ぽつりと、今まで沈黙していた銀狼が口を開いた。
 レティルとガイは一瞬顔を見合わせて、一拍を置いてレティルが返事を返すように言葉をかけた。
「何?」
「俺、モンスター……なんだよな」
何をいきなり言うのか。真意がつかめない質問にレティルは少し戸惑うがそれでも肯定の意味をこめて頷いた。
「うん、そうだね」
人の言葉を話し、狂気に流されることのない心を持つ。心優しい銀狼だけど部類は間違いなくモンスターである。
 最も、その線引きも人間が勝手に決めたもので、実際それが正しいのかと問われると疑問がないわけではないのだが。
「そう、だよな。どっからどう見ても銀狼だもんな。モンスターなんだよな……。だったら、なんでこんなに辛いんだろう?」
苦しさを吐き出すかのように言葉を吐く銀狼のそれにレティルは思わず眉を顰めた。
 モンスターは平気で人を襲い、奪われるべきではない命を平気で奪う。
 それなのに、自分はこんなに苦しい……。
 銀狼はそう言っている。
 まるで、今の自分を後悔しているかのように。
 狂気に流された凶暴なモンスターであったほうが良かったと言っているかのように。
 だが、銀狼がそうではないのは「心」を持っているからだ。誰かを大事に想い、守ろうとする心を、人が持つべくして、今はどこかに忘れてしまっている者が少なくはないそれを、銀狼は持っているから。
 だから、自分が守ろうとし、それが叶わない時は後悔する。自責の念に押しつぶされるかのように心が苦しくて不安でどうしようもなくなる。
 レティルはそれを知っている。ガイも同じ思いをしているはずだ。
 そう、守れないことは失うこと。
 何もかも、失ってしまう。そしてその悲しさと悔しさに自分がどうにかなってしまうのではないかと思うほどの苦しさに苛まれる。
 そしてそれは多少薄れはしても、決して消えることはない。
 しかし、それでもその「心」を捨ててしまおうとしないのは、温かさも優しさも嬉しさも知っているから。
 一度それを知ってしまえば、どんなに苦しくても悲しくても辛くても手放そうとは思わない。
 だから、辛くてもそれを忘れないで欲しい。
 手放したりしないで欲しい。
「辛くていいんだよ」
レティルの声に銀狼は驚いたように目を瞠り、こちらを振り返った。その青い瞳がレティルの紫の瞳と重なる。
「君は優しさや嬉しさを知っている。温かい心を知っている。それを感じて、嬉しいってことを精霊から学んだはずだ。だから、その精霊を失って辛くないなんてことは絶対にない。君は姿はモンスターかもしれない。でも、心は俺たちより人間よりずっと温かくて優しい」
 精霊を誤解し裏切った村の人々。
 そんな彼らに復讐する事だって出来たはずだ。なのにそれをせずに銀狼は村の者達に対して恨みという感情を抱いてはいない。
 言葉にすることはあってもそれが本心から出た言葉でないことはレティルには判る。
 本心から恨んでいれば、もっと事態は最悪なものになっていただろう。
 氷に閉ざされた村がもっとめちゃくちゃに破壊されていても不思議はないのだから。
 でも、それをしなかったのは銀狼にその気がなかったから。
 村の人たちが悪いと銀狼は思っていなかった。ただ、誤解しているだけだと思っているだけ。
「だから……辛くて、苦しくて、どうしようもなかったら、俺たちに頼ってみるってのはどう?」
青い瞳がまっすぐに向けられる。
 きっと慣れてないのだろう。こういう風に何かを頼るということ。
 困惑しているようにも見えるその青い瞳にレティルは笑いかけた。
「君はもう、一人じゃない」
辛いこと、全部抱え込まなくて良いからと、レティルは銀狼に伝える。
 自分がずっとそうだったように。
「俺……」
何かを言おうとして、言葉に詰まる銀狼。おそらく、自分の気持ちを素直に言葉にするにはまだどうして良いのかわからないらしい。
 すると、ガイがレティルの傍を離れて銀狼の前に座り込んだ。そして白い頭をわしわしと撫で回すと笑った。
「言葉に出来ないなら、泣けば良いだろ?辛いこと、苦しいこと、全部流せば良い。そして、また笑えば良いだろ?」
 言葉に出来ないなら、思いっきり泣けば良い。言葉に出来るほど、整理できるような器用な心なら苦しさなんて抱えない。
 レティルもガイの言葉に思わず笑みを漏らした。実に彼らしい言葉である。
 泣き虫で、でも誰よりも優しくて。そんな子供時代を過ごしていたからこそのガイの言葉である。彼とて、子供の時は自分の気持ちを言葉に出来るような子供ではなかった。
 少なくとも、レティルはそう思っている。
 だから、泣く。言葉に出来ないから。感情が言葉になる前に涙になるのだ。
 レティルも、銀狼の傍にしゃがみこみ、頭を優しく撫でて目を細めた。
「うん、辛かったら泣いていいよ」
 出来るだけ優しく言う。
 すると、銀狼の青い瞳からぽろぽろと透明の雫が白い大地に落ちていく。
 大きな口を何度も開閉させ、身体を大きく震わせて泣く銀狼の姿はまるで小さな子供のようだった。
 仕方ないなと、レティルは銀狼の身体を自分の方へ引き寄せた。
 慰めるつもりでの行為は逆効果で、銀狼の涙はどんどん溢れて止まる様子は見せない。
「今は、思いっきり泣いて、また笑えば良いよ」
「っ……うっ……」
白い雪と同じ色をした身体をレティルに押し付けるようにして泣き続ける銀狼は、その心と同じくとても温かかった。

「俺たちと一緒に来る?」
レティルは泣き止んで落ち着いた銀狼にそう問いかけた。
 このままこの山に銀狼を残すのはどちらにしても危険だ。精霊を失った山は次第にモンスターの巣窟となるだろう。それに加え、村の人々だって黙ってはいない。またハンターをこの山に送り込んでこないとは限らないのだから。
 そうなればこの山に銀狼がいることは周知の事実となり珍しいモンスターを重宝しがり、それを狩ることをもっぱらの仕事としているハンターたちに狙われないとも限らないのだ。
 それに、精霊の遺した言葉のこともある。あの精霊は銀狼に何か役目があると言っていた。それを果たすためには自分たちと行動を共にしたほうがいいらしい。
「もちろん、決めるのは君だから俺たちは強制することは出来ないし。俺たちと一緒に来るってことはそれなりに危険だし、邪神軍とも関わることになるかもしれない。それでも良かったら、だけど」
自分たちが望まなくても、邪神軍と関わることになる。レミュー王との約束であるパドラも邪神軍にいることは明確だ。再びパドラと戦う時が来るだろう。
 それに自分たちは上級ハンターで、どちらにしても危険な仕事が主だ。危険は多くあるし、戦いの毎日だ。
 そんな自分たちに着いて来るのは並みのことではないだろう。もっとも銀狼ほどの動きが出来て、戦闘能力があれば大した問題ではないかもしれないが、やはりそれは本人の意思である。
 しばらくの間。銀狼はレティルの言葉に目を細めて俯く。大きな白銀のふさふさした尾が左右に何度も揺れていた。
 悩んでいるだろう銀狼にガイが続けた。
「お前が失った記憶、気になるんじゃないのか?精霊が言っていた言葉を突き詰めれば、俺たちと一緒にいることでその記憶を取り戻せるかもしれないってことだろ」
銀狼がこの山で精霊に助けられる前の記憶。失っている過去。
 世界を旅すればそれが見つかるかもしれないのは確かだ。
 精霊の遺した「役目」に繋がる記憶が。
「でも、俺が一緒だと迷惑が掛かるだろ」
銀狼は地面に視線を落としたままそうポツリと言った。
 自分はモンスターだからと。
 その言葉にレティルとガイは顔を見合わせて目を瞬く。
 なるほど、やはりそれを気にしていたか。
 自分はモンスターで、人間と一緒にいれば必ず迷惑が掛かる。
 その思いは銀狼の中にこの一件で根付いている。もちろんそれは無理のないことではある。
 実際、現在の情勢を考えても人間社会でモンスターがうまく共存している例は決して多くない。どちらかというと稀であろう。もちろん、職業柄、モンスターを操っている者もいないわけではないが、それは共存しているというわけではなく、その者の能力で従わせているのだ。
 それを銀狼は身をもって知っている。だから、また今回のような事が自分といたら起こるのではないかと懸念しているのだ。
 だが、レティルたちがそんなに弱い存在ではないと銀狼だって判っているとは思うのだが。
「それは心配しなくても大丈夫。気兼ねなく君が俺たちと一緒にいられる方法がちゃんとある。だから気にしなくてもいいよ」
だから、一緒に行こうとレティルは告げた。
 少しの間。
 沈黙の中、山に吹く風はもうすっかり穏やかで爽やかな風になっていた。
 きっとこの風が氷に閉ざされたこの山を元の山に変えてくれるだろう。降り積もった雪を溶かして。
 その風の中で軍狼はおもむろに立ち上がった。どうしたのかとレティルとガイはその姿を見つめると銀狼は白銀の尾を一振りし、大きく息を吸い込んだ。
 そして……。
「ウィルト」
「え?」
「俺の名前。スノウから貰った名前……ウィルト」
精霊は名を告げ共に行けと言った。
 銀狼はその言葉の通り、レティルたちに自分の持つ名前を告げたのだ。
 それは共に旅をするという決意の表れ。
 レティルはガイの身体を支えながら立ち上がると、横にいるガイに目配せをして、二人同じ言葉を口にした。
「よろしく、ウィルト」
レティルとガイの声を銀狼(ウィルト)は本当に嬉しそうに目を細めて頷いた。

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