ブレイブバスターズ

第二章 雪女の呪いと銀狼の涙

***   9   ***

 水蒸気爆発だ。
 白い粉と水蒸気が視界を遮る。
 一体何が起こったのか、レティルはすぐに判断する事が出来なかった。しかし、視界がはっきりしてくると目の前の状況がはっきり判るようになった。
 自分たちの目の前には、守るように立ちはだかる銀狼の姿がある。白銀の四肢でしっかり白い大地に立つ銀狼の姿。
 どうやら銀狼の炎の息で吹雪を掻き消したらしい。
「君……」
「もう、迷わない」
噛み締めるような、絞り出すような声で銀狼は言い、その青い眼差しを精霊へと向ける。
「俺のせいで、これ以上誰かが傷ついてたまるか!」
 悲しい連鎖を断ち切る。その想いを銀狼は精霊に示すように叫んだ。
 白銀の身体は太陽の光に照らされて銀色の光を放ち、青い双眸は鋭い光を宿していた。
 迷いのない、鋭い光がまっすぐ精霊に向けられている。
 あれは、自分だ。八年前に全てを失い、これ以上何も失くさないように、誰も犠牲にしないように強くなると決意をした自分。
 勇者の末裔として生きることよりも、ただ、強くあり、そして人を守るために戦いたいと望んだ自分。すべての過去を封じ込めてまで戦うことを決めたあの頃の自分だ。
「ガイ、ここで、じっとしてて」
レティルはガイの肩を叩いてから立ち上がった。
「すぐにケリをつけるから」
「レティル……」
 これ以上、こんな悲しい戦いを長引かせるわけにはいかない。
 レティルは銀狼を見つめた。
 銀狼は、鋭い牙をむき出しにして精霊に向き合っている。
 氷の精霊が、白い衣を翻すように立ち上がるが、身体のあちらこちらが崩れ始め、至るところがひび割れを起こしていた。
 このままではどちらにしても、あの精霊は間もなく消滅してしまうだろう。
 しかし、それでは駄目なのだ。誰も救われはしない。
「バカやろう」
痛みで顔をゆがめながら青い顔でガイは言葉を吐き出す。
「んなことは、判ってるさ」
わずかに口元をほころばせて、気にするなと呟いた。
 そんな彼の言葉に、レティルは目を細めて頷くと、紫のマントを翻した。
 精霊は再び吹雪を放ってきた。レティルはマントを翻すと同時にそれを同じ吹雪の魔法で打ち消す。
 空中にキラキラと氷の粒子が舞い、光が反射する。
 精霊の力は格段に落ちてきている。今なら、充分勝機は望める。
 レティルは銀狼を見下ろして目配せをした。
「全力で行けばいい。俺がサポートしてあげるから」
 自分の想いを精霊に届けるように。
 思うままに戦えばいい、そう告げると銀狼は一瞬目を見開いて驚いたような表情をのぞかせたが、すぐに悲しい瞳のまま頷く。
 そして銀狼は、一心不乱に精霊に向かって行った。
 持ち前のスピードと炎の息を吐いて、何度も倒されながらも、氷の刃で傷つけられようとも。
 レティルは銀狼が出来るだけ攻撃を受けないように、それでいて動きやすいように威力を押さえた炎系の魔法を多く使い、銀狼を守ってやる。
 それでも、精霊相手にがむしゃらに向かっていく銀狼の身体は傷だらけになり、体力がどんどん削られていく。
「スノウ……っ」
荒い息で銀狼は呻いた。
「俺は知ってる。お前が、誰よりも傷つけることを嫌っている、優しい奴だって……」
揺れる声と悲しい青い瞳は自我を失う精霊に向けられる。
「だからっ」
倒すんだと、銀狼は言葉を飲み込んだ。
 こんな事を望まないと知っているから。
 それが自身の傲慢な願いだったとしても。
 レティルはそれを胸が詰まる思いで聞いた。たまらない気持ちに目の中が熱くなる。
 まるで、手に取るように伝わってくる銀狼の想い。それは他でもない、本当に純粋な願いだからだ。ただ、まっすぐで、純粋な願いであるから、見ているものにもそれがストレートに伝わってくる。
 優しい精霊が、愛した存在に裏切られ心を壊した。
 しかし、本当に心の底から愛した存在を憎んでいるのだろうか。ただ、悲しみに心が耐え切れなくなって壊れてしまっただけではないのか。
 そうならば、きっと精霊はこんな事態は望んでいないだろう。
 これが最後だと言わんばかりの悲しい精霊の叫び声が響いた。悲しい声と冷たい吹雪が、周囲を白く染める。
 レティルはそれを炎の魔法で相殺すると、銀狼は全身のバネを使い青い空へと飛び上がった。
炎の矢(ファイアアロー)!」
精霊の足元にレティルは炎の矢(ファイアアロー)を放つ。ドンという引く音をさせて真っ白い粉雪が舞い上がり、精霊の周囲を包んだ。
 銀狼は、それを利用し身を隠し死角に入り込むと炎の息を吐いた。その炎の息は精霊の身体を包み込み燃え上がる。
「スノウ―――!」
悲しい叫びと共に、銀狼は着地し身体を反転させて鋭い爪で精霊の身体を切り裂いた。
 断末魔とも思える甲高い悲鳴がし、精霊は崩れ落ちるように倒れた。
「…ノウ…っ」
青い瞳が崩れ落ちる精霊を映し揺れているように見えた。
 レティルはその光景を視界の端に映しながらガイの元に駆け寄ってしゃがみ込み、身体を支える。
「やったか?」
「ああ、たぶん」
傷だらけのガイを支えながらレティルは応えると、すぐに右手を彼の身体に支えた。
治癒(ヒール)
レティルの右手から光が零れると、その光がガイの身体を薄っすらと包み、至るところにあった血を流す傷を癒し、治していく。
 少しの間で、ガイの負っていた傷のほとんどが消えていた。
「どう?傷を治しただけでダメージは残ってると思うけど」
 回復魔法を使える者は世界中でもそんなにいないだろう。高名な神官や賢者がほとんどだ。
 一部のハンターの中には使える者もいるが、目立って多いわけではない。
 そもそも、この世界に存在する回復魔法というものは、万能ではない。
 負った傷を、その者が持つ生命力を魔法の力で一時的に増幅させて傷や病気を治すだけで、重症のものには使えないし、 治したところでその時に負ったダメージや低下した体力が戻るわけではない。
「少し、楽になったよ。サンキュ」
痛みが消え、少しだが顔色が良くなったガイが頷いてレティルの手を離させて、ふらつきながらも立ち上がった。
 それでも、思ったより出血していたダメージが大きいらしい。よろめいたので、レティルは慌ててガイの身体を支え腕を自分の肩に回す。
 そして、レティルは歩き出す。向かったのは崩れ落ち、倒れた精霊と、その傍に駆け寄った銀狼の所。
「スノウ……」
青い空を見つめるように精霊は仰向けに倒れ、そんな精霊に銀狼は銀狼は必死に呼びかけていた。
 倒れる精霊の身体は至るところが崩れ、ひび割れて、白い雪に溶け始めていた。無残だと思うばかりの姿だ。
 理を犯した精霊の末路はこうなるのかと、レティルは唇を噛んだ。
「スノウっ、スノウ」
何かにとりつかれたかの様に、ただ何度も精霊の名を呼び続ける銀狼。その虚しい、悲しい声が木霊する。
 乾いた音が、その中に混ざるのは精霊の身体が崩れる音。
 その音に混ざって爽やかな、涼やかな精霊のソプラノ声が微かに聞こえた。
「心優しき銀狼。そして勇者アーティアの眷属たち」
微かに、耳を澄ましてようやく聞こえるような声。
「心を痛める必要はありません。これは私が自ら選んだ運命。後悔はありません」
「スノウ」
銀狼は消え行く精霊に寄り添うように佇み目を細める。
 最期に自我を取り戻した精霊はレティルたちに視線を向け、微かに目を細め仄かに笑うと銀狼へとまなざしを向けた。
「心優しき銀狼よ。彼らと共にこの地より旅立ちなさい。あなたには成さなければならない役目があります。この勇者の子孫たちに名を告げ、共に世界を見なさい。そして真実を知り、役目を果たしなさい」
「役目……?」
銀狼が持つという役目。それが何であるのか、レティルたちには判らない。もちろん銀狼にも判らないのだろう、困惑をした瞳を精霊に向けている。
 おそらく、銀狼が失っている記憶に、何かあるのだろうけれど。
「勇者の末裔たちよ」
精霊はレティルとガイを見た。その涼やかな瞳は先ほどまでの氷のように冷たいものではなく、静かに降り積もる穏やかで柔らかい雪のような静かで憂いを湛えた瞳だった。
「邪神と戦うのは今の貴方たちの力では無理でしょう」
「はい」
精霊の指摘にレティルは素直に頷いた。
 自分でも判っている。今、自分は確かにハンターとしては群を抜いた実力を評されているが、それでもまだまだ邪神と戦うだけの実力があるとは思ってはいない。
 ましてや、あのパドラにあれだけの苦戦を強いられている事実。パドラはおそらく邪神軍に所属する魔族の足元にも及ばない力だろう。
 だったら、自分たちには邪神の直属の部下たちにすら敵わないということになる。
 そんなことは重々承知していた。
「戦う決意と、そこにある数々の苦難に立ち向かうだけの意思があるのであれば、ヴァイナ国の湖に住む八大精霊の一つ、水の精霊に会いなさい」
八大精霊。世界の理の中にある精霊界において、精霊神に次いでの力を有する八つの属性に属する精霊たち。
「戦うのに必要な力と知識を与えて―――」
精霊の身体が、白い雪の中に溶けるように崩れていく。それは止まる事はなく次第に形をとどめておくことすら出来なくなる。
「スノウ、俺は」
自分のしたことを詫びようと思ったのか、銀狼は額の傷を歪めて声を上げる。
 しかし、思ったことを口に出来ないのか、そこで言い澱んだ。
「俺は……」
「大丈夫」
消え行く精霊は穏やかに笑った。
「貴方は間違ったことはしていません」
「でも、俺は」
「胸を張って、いきなさい。彼らと共に。そして……」

―― どうか、世界を ――

 風に溶ける声を残し、精霊の身体は雪に溶け、風の中に消えていった。
 そこに残ったのは悲しい声を上げる銀狼の遠吠えのような声と

 どこまでの広がる青い青い空と白い大地だった。

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