| 第二章 雪女の呪いと銀狼の涙
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かつては緑豊かな土地であった。
しかし、今はその面影などほとんど残ってはいない。
自然溢れる緑豊かな森も、青い光を放つ美しい湖も、今ではモンスターの巣窟と化していた。
勇者アーティアの国と呼ばれるものの一つの国。南の島国、アルバート王国。
そう呼ばれていた、かつては人々の希望の象徴とされたこの国は皮肉にも今、人々の絶望の象徴の場所となっていた。
ここは、邪神軍の本拠地、邪神城。
薄暗く、禍々しい城の中を褐色の肌に紅い鋭い瞳を持ち、背中ほどにある銀の長い髪を持つ男が靴音を響かせて歩く。
身に着けている衣服も鎧も、腰にある剣さえも、全てが黒く、まるで闇を身に着けているかのような風貌である。
この男こそ、邪神軍の参謀であり、邪神に次ぐ力を持つものとされている存在。魔族、ヴィラルダである。
ヴィラルダは邪神アウティルーガの右腕である。他の魔族を、普段は表に立たないアウティルーガの変わりにまとめ、指揮を執る実力者だ。
しかし、邪神も認めるほどの力をもち、一目置かれる存在であったとしても、魔族というのは難しいもので、力さえあれば全ての魔族が言うことを聞くというものでもない。
欲が強い者が多い魔族達がこの邪神軍に加わり、隙あらば自分が成り代わろうとしている者ばかりである。
そんな者達を扱うには力だけではなく頭脳も必要となる。
ヴィラルダはそれにも長けていて、能力、頭脳、駆け引きをする度胸など、全てがずば抜けていて、それを邪神に気に入られたのだ。
ヴィラルダは廊下を歩き、そしてある部屋の前で立ち止まり、迷うこよなくその扉を開けた。
中に入ると皺の深い小柄で白服の魔族の老人がヴィラルダを丁寧に出迎えた。
「これはこれはヴィラルダ様、邪神軍参謀であるあなた様が、このようなところに足をお運びになられて」
深々と頭をさげ、用意されていたかのように世辞を口にする。
ヴィラルダはそれになんの感情も示すことはなく、自分の用件を伝える。
「パドラの様子はどうだ」
全体が暗い部屋の中、中央に唯一紅い光を放つ巨大なガラス張りの水槽の前に立つ。
その水槽には様々な装置が取り付けられていて、周囲には複雑な陣形をした魔法陣が描かれていた。
そしてその水槽の紅い水の中には、様々な管を付けられているフェザーライオンの姿があった。
そう、それはあのレミュー城で瀕死の重傷を負ってここに運ばれたパドラである。
「順調に回復しております。あと、数日もすれば前線に復帰も可能でしょう」
少し掠れた声で白衣の老人は言うと、不気味なくぼんだ目をわずかに細めた。
確かに、ここに運ばれてきた時にあったはずの傷は全て消え、見た目には完治しているかのように見える。
「しかし、この合成獣は我、邪神軍の最高傑作。その辺りの魔族よりは数段強い。にも関わらず、一体あの傷は誰にやられたものなのですか?」
老人は当たり前の疑問を口にした。
そう、この合成獣はパドラ自身の研究してきた合成獣化する技術に魔族の魔力を融合させた最高傑作だった。その強さからも邪神アウティルーガの直属の部下である戦士の一人として迎えられるのだ。
なのに、たかが人間の、しかもまだ子供にあれほどの深手を負わされた。
普通ならありえないだろう。
だが……。
ヴィラルダはあの光景を思い出し、口元を歪めた。
「勇者だ」
「勇者……と、申しますと。血族は皆、絶えたはずではないのですか?」
そう、忌々しい勇者アーティアの血族はあの復活の日に全て絶やしたはずだった。
しかし、あれは間違いない。
あの光の魔法と精霊の剣。あれらを使える存在は今、この地上には勇者の血を持つ者しかいないはずである。
「生きていたのだ、忌々しい血がな」
邪神アウティルーガを精霊神と共に封じた勇者アーティアの血が。自分たち魔族のほとんどを魔界へと押し込め封じ込めた血が。
どうやらまだ、この世界をアウティルーガの手のものにするには邪魔な存在が一つ増えたらしい。
紅い瞳を、今一度水槽に向けると踵を返した。
「ヴィラルダ様、どこへ?」
「アウティルーガ様へ報告せねばなるまい。パドラは任せよう。目が覚めしだい我元へつれて来い」
「は、かしこまりました」
背中越しにヴィラルダは老人に告げると、老人が頭を下げるのを背中で感じながら部屋を後にした。
この邪神城のある島は暗黒の結界で守られている。そのためにいつも夜のように暗い。
城の中は壁にある光輝石のお陰でいくらかは明るく、不便はない。
最も、永い時の中をあの暗い魔界に閉じ込められていた魔族達にとっては暗さなどなんの意味もないが。
ヴィラルダは今は自分たちの城となっているこの廊下を歩き、かつて人間が王の間と呼んでいたのであろう部屋の前に立つ。
今ではそこは邪神の間となっていて、城の主であるアウティルーガがそこにいる。
ヴィラルダは大きい高貴な彫刻が施されている扉を開けて深々と頭を下げた。
「アウティルーガ様。ヴィラルダ、参りました」
「ヴィラルダか」
一つ高い深紅の王座に、 白い、高貴なローブを身に纏った老人がそこには座っていた。白銀の流れるような美しい髪に魔族の象徴の一つである紅い瞳が、老人らしからぬ鋭く強い光を放っている。
この老人こそが魔族の頂点に立つ、邪神アウティルーガである。
永きに渡り封じられていた邪神は、持っていた魔力と若き肉体を全て精霊神により奪われた。そして年老いた身体と魂を別次元に封じ、それを勇者に託したのだ。
そう、勇者の血族が守っていたのは邪神の魂と老いてしまった肉体だけなのである。
「首尾はどうだ?」
少し掠れた声で、しかし威厳のある声でアウティルーガは目の前に膝をつくヴィラルダに声を掛けた。
ヴィラルダは少しの間をおいて顔を上げると現在の自分が把握していることを話した。
「侵攻は着実に進んでおりますが、少々問題が起こりました。レミューの王子を我軍に引き入れることには成功しましたが、思わぬ邪魔者が奴に深手を負わせ……。現在治療中です」
「邪魔者とは?」
「勇者です。アルバート、サフィルトの両国の王子が生きておりました」
確かに、あの復活の時に始末したと報告を受けた。だが、死体は確認していない。
何らかの幻術なりを使い、騙したのかもしれない。
どうやって生き残ったのかは判らないが、現実、あの勇者の血は生きている。
「申し訳ありません、よもや生きていようとは」
深々と頭を下げた。
いくら、最盛期の魔力を失ったとはいえ、アウティルーガの魔力は高い。一歩間違えばヴィラルダ自身の命を落としかねないぐらいの力はある。
「確かに、アルバートとサフィルトの王子なのであろうな?」
「それは間違いないかと。あの青い髪に紫の瞳はこの王族のものと同じですし、剣士はサフィルトの王家の手に渡っていた精霊の剣を手にしておりましたので」
アルバートの王族には目の覚めるような青空と同じ色の髪と紫の瞳が特徴だった。直径にはそれが顕著に現れるらしいことは、この城に残されている代々の王家の肖像画により証明されている。
そしてサフィルトには復活より前に最も厄介とされている精霊の剣が譲渡されていて、どこかに隠されていることは確認できたものの、いくら探しても発見することは出来なかったのだ。
「いかがなさいましょうか?」
内心、自分の身の保身を図りながらそうヴィラルダが尋ねると、アウティルーガの返答は思いもよらないものだった。
「放っておけ」
発せられたその一言の意味を理解するのに少しの間を使い、そして思わず言葉を返した。
「しかし、それではいずれ我邪神軍に邪魔立てをする大きな力となるかと思われますが」
「廃れ落ちた勇者の末裔国の幼き王子など恐れるに値しない」
言い切ると、アウティルーガは赤い瞳を鋭く光らせて続けた。
「それよりも真に恐れるは、アーティアの第一子」
「第一子と、申されますと」
アーティアがアウティルーガと戦い、自分たち魔族を魔界に追いやり、邪神を封印したのは五百年も前の話。
その後、勇者の子が誕生したとしても、今の時代に生きているなど普通の人間ではありえない。人間の寿命は長くても百年あるかないかである。
「もう生きてはいないと思いますが」
「人間として生きておればな」
ヴィラルダの言葉にアウティルーガは確信を持った声で返す。
「アーティアの第一子は精霊神の手により精霊界に身を置いているはずだ。しかし、我の復活の際に精霊神は危険を感じたのか、そのアーティアの第一子を地上へと降ろしたようだ」
確かに、精霊の座に位置しているのであれば長き時を生きていたとしても不思議ではない。
「我が復活の時に精霊神が封印していた魔力と肉体が反応し、封印が不安定になった。同時に精霊界にも異変が生じ、これ以上アーティアの第一子を留めて置く事が難しくなったのだ。それに、アルバートとサフィルトに起こった惨事を知り、アーティアの第一子を地上へと向かわせた。精霊神は今、封印を隠し、守ることに精一杯で精霊界や地上に干渉することすら出来ないでいるから尚のことだ」
アウティルーガの言葉が、今起こっている地上での精霊の異変に繋がっていることをヴィラルダは理解した。
そして、封印と共に姿を消した精霊神の居場所を知っているであろうアーティアの第一子。その第一子は今、この地上ですでに滅んだとされている勇者の末裔の代わりにどこかで戦っているのだろうか。
「ヴィラルダよ、アーティアの第一子を探せ。やつは必ず精霊神の居場所と、封印の場所を知っておる。あれほどの力を持つ勇者の直系だ。どこかでその噂や、そう思われる人物が魔族を相手に戦っているとすればこの地上では目立つだろうて」
「かしこまりました」
勇者アーティアの第一子。アーティアの子を見つけ出すこと。
それが参謀ヴィラルダに与えられた新たな任だった。
しかし……と、ヴィラルダは邪神の間を出て廊下を歩きながら思った。
アルバートとサフィルトの王子をこのまま何の手も打たずに放っておくのは我軍の利益ではないと。
「奴に、見張らせておくか」
冷たい笑みを浮かべてヴィラルダは静かな広い廊下で呟いた。
ザムノ山……。
朝日が昇るころには、あれだけ激しく吹雪いていたのにも関わらず静けさを取り戻し、空は晴れ渡っていた。
「いい天気になったもんだね」
その光景を洞窟から出てきたレティルが目にして思わず誰に言うでもなく呟いた。
周囲は白銀の世界に染まっていた。それが吹雪きの物凄さを物語っているようでもあり、また正反対の静けさが昨晩の事が嘘のようだった。
白銀の向こう、地平から昇る太陽の光の眩しさにレティルは目を細めながら大きく伸びをして紫のマントを翻した。
振り返った先には、準備万端のガイと銀狼がいる。
「行こう!」
吹き抜ける、まだ冷たさの残る風にマントをなびかせて、レティルとガイ、そして新たに加わった銀狼と共に山頂を目指して歩き出したのだった。
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