| 第二章 雪女の呪いと銀狼の涙
*** 5 ***
銀狼は、持ち前の身軽な動きで険しくなる山道を軽快に歩いていく。レティルとガイの二人もその銀狼に何とかついて行ける感じだった。
一体どこに向かおうとしているのかは検討がつかなかったが、どこか目的があるのだろう。銀狼は慣れた様子で迷う様子もなく淡々と歩いていく。
やがて、小一時間も歩いただろうか。中腹より少し登った場所に洞窟があった。銀狼はそこにためらう事なく入っていくので、二人も仕方なく続いて入ることにした。
中は人が一人通れるぐらいの広さの通路が置くまで続いていたが、それもさほど長いものではなかった。少し置くに行くと獣の皮を干した毛皮が外気を遮断するかのように垂れていて、銀狼はそれを潜ってそのまま入っていった。
一瞬迷ったレティルだったが、ガイの顔を見ると小さく肩をすくめたものの入るしかないという顔をするので、レティルは毛皮をめくって覗き込んでみた。
すると、中には光輝く石……光輝石という、このアーティアの世界では照明代わりに使われる自ら光る石がいくつか置かれ、明るくなっていた。
注意しながら中に入ると、そこは小さな部屋のようになっていて中央には囲炉裏のようなものもあったし、石壁の前には毛布がいくつか積まれてあった。瓶も蒔きもいくつか置かれてあり、ここはどうやら村人が山に登る時に利用していた宿泊場所のようであることが想像できた。おそらく、山に登る時に天候が急変した場合に備えた避難所のようなものなのだろう。
銀狼は囲炉裏に蒔きを咥えて、いくつか放り込むと自らが炎の息を吐き出してそれに火をつけた。
「適当に座ってくれ。ここならスノウの冷気も入り込まないし、モンスターも入らない」
銀狼はそういうと呆然と立ち尽くしているレティルたちにぶっきらぼうにそう言った。
二人はとりあえず手短に火の近くに腰を下ろすと、銀狼もそれを見届けてから同じように火を囲むように腰を下ろした。
世間的にはとても珍しいとはいえモンスターである銀狼と、成り行きとはいえこうして火を囲んでいる状況は明らかにおかしいような気がしないわけではないが、とにかく今は、この人の言葉を理解し話す銀狼から話を詳しく聞いてみる価値がある。
「一体、何があったんだ? 話してくれるんだろう?」
レティルがそう切り出すと、銀狼は一瞬の間を置いてゆらゆらと炎がゆらめく囲炉裏を見つめたままポツリポツリと話し出した。
「スノウはあんたたちが思っている通り、この山を中心に守護している雪の精霊だ。いつもは精霊神のお告げのもので、それに従って自然をコントロールする役目を負っている」
精霊のほとんどは自分たちの傍にある自然やそこで暮らす命を見守り守護する立場にある。例外である八大精霊意外の全ての精霊はその役目を忠実に担っていたはずだった。
邪神が復活するその日までは。
世界中のモンスターが凶悪化し、魔族が人々を襲い、たくさんの命を奪い始めたころ、八大精霊はいつしか力を失い始め、今ではその精霊の力もほとんど失っていると、以前旅先の精霊師が言っていたことを思い出す。
精霊師は精霊の言葉を聞き、人々に伝える神聖なこの世界の役職の一つであり、精霊にもっとも近い存在といわれる。
そんな人がそういうのだから、精霊の世界にも邪神の影響が出始めているのだと思っていた。
その証拠に、これほど世界が荒廃し始めているのにも関わらず世界を守護していたはずの精霊神は一向にその姿を表す気配がない。
何かが、確かの起こっているのだ。精霊界に。
「話は数ヶ月前にさかのぼる」
銀狼は話を続けた。
「俺は、この山の中腹で大きな傷を負って倒れていた。この山で倒れていた前後の記憶を全て失ってた。どうしてそこにいたのか、何をしていたのか、自分のことは何一つ判らなかった。そんな俺をスノウは助けてくれたんだ」
話し始めたのは銀狼の身の上話。それがどう繋がっていくのかをレティルは想像することが出来たが、黙って話を聞くことにした。
「モンスターである俺を助けてくれたスノウはとても優しい精霊だった。魔物でも人でも動物でも、区別なく接して、この山に住む全ての命を愛していた……。麓の村の連中も、スノウをとても崇拝していたし、関係はうまくいってたんだ。でも……」
銀狼は言葉を詰まらせ。きゅっと口を結ぶが、やがて小さく息を吐いて顔を上げた。その炎が映りこむ青い瞳がわずかに揺れる。
「俺がようやく動けるようになったある日、村の奴らが精霊に供物をささげるために山に登ってきたんだ。そうしたら、丁度、邪神軍が放ってきたモンスターに襲われたんだ。俺は助けようとしたんだ、でも、俺は傷がまだ完全に癒えてなかったから動けなくて、スノウが助けてくれた。でも、それが勘違いされて。気がつけば一人が崖から転落して死んだ。残りの奴らは何とか逃げる事が出来たんだけど、その事件が村の奴らに誤解を与えたんだ」
「なんとなく想像はつくな」
ガイはため息混じりに呟いた。
話される内容の光景が目に浮かぶようでレティルも流石に顔をしかめた。
運が悪かったとしか言えないだろう。邪神軍は世界各地に強力なモンスターを放っている。山や森、砂漠、平原や岩場まで。おそらく、この山にもそれを放った。本来は精霊の守護のがあり、追い出されるはずのモンスターだが、それも時間が多少は掛かる。
つまり、放たれた直後に村人がこの山に登ればモンスターに遭遇するということもないわけではない。
他の精霊のいない山に比べれば確率はずっと少ないだろうけれど。
「スノウがモンスターを匿っているって、そいつらが触れ回りやがったんだ」
冷静に考えればそんなことはないと誰もが理解できるはずだ。
しかし、村人が一人死んでいるし、そこにいた数人の村人も恐怖で冷静に判断する事が出来なくなっていたのだ。
邪神復活で、人々の心は廃れ、恐怖といつも隣り合わせの生活が疑心暗鬼を生み、なくてもいい争いが生むことは良くある話だ。
それが人の弱さであるのだから。
「村人の奴らがハンターを雇ってスノウを殺そうと企んだ。でも、最初はスノウも仕方ないことだからって笑ってたし、ハンターたちも適当にあしらって追い返してた。でも、それがずっと続くうちに、スノウの心はどんどん壊れていって……。俺が気がついたときにはもう遅かったんだ」
「成程、そのときにはもう暴走してたんだね。……村をあっという間に凍り漬けにして」
レティルの言葉に銀狼は黙って頷いた。
優しい精霊だったから、村の人たちの仕打ちを最初は仕方ないことだと思っていたのかもしれない。でも、それも本当は辛いことで、やがてそれが耐えられなくなった。心のタガが外れて、壊れてしまった。
そして、近づく者を全て凍り漬けにし排除しようとしているのだ。
レミュー師団もおそらく、あの精霊の冷気にやられたのだ。自分たちが遭遇したあの強烈な冷気で。
「レミュー師団もこの山に来て、あの冷気にやられたんだ」
「俺は山に来る連中をスノウにやられる前に追い返すつもりだった。でも、あの兵士たちは手ごわくて、追い返す前に冷気でやられちまった」
銀狼は最初からこの山に来た者を、精霊の冷気の犠牲になる前に山から立ち去るようにわざと攻撃を仕掛けてきたということだったのかと、レティルはあの銀狼の殺気のない攻撃を理解した。
「お前らは、あのスノウの冷気を防いだ最初の奴らだ。それに悪いやつにも見えない。……頼む、スノウを止めてくれ。俺の力じゃもう、どうすることもできないんだ」
切実な、震える声で銀狼は訴えた。
自分を助けてくれた精霊が、もう自分の言葉を耳に入れないほどに崩壊してしまい、どうすることも出来ない無力さ。レティルは、そしてガイも、それは誰よりも悔しいことだと知っている。
でも、止めてくれということが何を意味するのか、この銀狼は知っているのだろうか?
「止めるってことが、どういうことか知ってるの? ……暴走した精霊はもうどうすることも出来ない。滅びるしかないんだって、知ってる? それでもそう言うのなら、俺たちは君の言葉に応える事が出来る。でもそうじゃなく、元の……君が知っている優しい精霊のスノウに戻してくれという意味でなのならば、それは俺たちには不可能なことだ」
レティルはあえて、厳しい現実を銀狼に隠す事なく伝えた。この銀狼の気持ちが自分たちに話される言葉からひしひしと伝わったからだ。
助けたい、何とかしたいという気持ちが。
「スノウは、こんなことを望んでない」
銀狼は弾かれたように顔を上げると訴えるように真剣な青い眼差しを向けてきた。
「スノウは本当に優しい精霊だ。誰かを傷つけるなんて本当は望んでないんはずなんだ。それに……村の奴らだって、誤解してただけで、ちゃんと解り合えば解決することだから。なのにこんなことになっちまって、俺、悔しくて」
さっき、自分たちには村の奴らが悪いと叫んだ銀狼。でも、もしかしたらそう思い込んでしまおうとしていただけなのではないか。レティルはそう思った。
もしかしたら、銀狼は自分が傍にさえいなければこんなことにならなかったと思っているのかもしれない。
でも、そう思うのは耐えられなかったから誰かのせいにしてしまうような言い方をついついしてしまうのではないだろうか。
本当はこの銀狼は自分を責め、苦しんでいるように見えた。
沈黙が降りる中、ガイがそれを破るように口を開いた。
「判った、お前の言葉を受けよう」
「ガイ?」
突然の言葉にレティルがガイを見ると、彼は焚き火の炎に照らされた紅い顔に穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「この銀狼も納得してるんだ。俺たちだって村を元に戻すためにはどっちにしても精霊に会わなきゃいけなかったわけだ。結果は同じだろ?」
「そうだけど……それで、本当にいいの?」
最後の言葉を銀狼に向けると、銀狼は一瞬凄く悲しそうな目を瞬き、そしてゆっくりと頷いた。
「無関係なお前らにこんなこと頼める義理じゃないのは判ってる。モンスターの言うことなんか馬鹿げてるかも知れない。でも、俺は、スノウも精霊が愛してた山も村も、スノウが愛していた頃に戻したい。戻してやりたいんだ」
それでたとえ、スノウという存在を失ったとしても。
そういう決意が向けられた真剣な眼差しから感じ取れて、レティルは頷いた。
「判った。ガイの言うとおり、君の言葉に応えるように、努力するよ」
精霊も優しい存在だったと話で充分に伝わったが、この目の前の銀狼もとても優しい存在だとレティルは感じた。
恨むでもなく、憎しみを向けるでもなく、ただ、自分が大切にしていたものが愛していたものを守りたいと純粋に思う心がまっすぐ向けられていたから。
「……ありがとう」
銀狼は、そう小さく言って深々と頭を下げた。
|